四.第三の謎

 中に入っていたのは一通の書簡と、一葉の写真だった。とりあえず写真を手にとって見てみると、古ぼけたセピア色で、何やら大きな建物をバックにして大勢の人達が写っていた。どうやら何かの記念撮影らしい。
「あぁ、この写真、懐かしいな」
 見るなり、飯田老人が歓喜の声をあげて頬を緩めた。
「知っているんですか?」
「あぁ、知っているも何も、研究所で撮った写真だよ。ここが俺達の働いていた森本研究所で、これが俺、これが君達のお爺さんの重光だよ」
 若い頃の爺さんの写真など今まで一枚も見た事が無かったので、非常に感慨深い。今の自分と同じくらいの年の爺さんはこんな顔をしていたのか、よく見れば確かに目元口元が同じだ。あぁでも、少しこっちの方が痩せているな。何だか気恥ずかしくもあり、誇らしくもある写真の爺さんを見ながら他の人にも目を移していると、ふと気になる人物がいた。
 この人、どこかで見た事あるな。
 何十年も前の、しかもきっと会った事の無い人だけど、どこかで見覚えがある。それはどこだったろう。学校か、働いていた時か、それとも旅の途中か、はたまた近所での出来事だろうか。過去に思い巡らせても、それらしい人物が思い浮かばない。けれど、俺はどこかでこの人と会っているはずだ。
「どうかしたの?」
 明日香の声に我に返ると、俺は中空を軽く見上げた後、すぐに飯田さんへと目を移した。
「写真で気になった事があるんですが、この女性ってどなたですか?」
 飯田老人は修吾が指した女性を見るなり、またも顔をほころばせた。
「この人かい? この人は森本忍さんと言って、ここの研究所所長の娘さんだよ。所長はそこそこ有能な人だったけど、この子は研究者としては未熟でね、だからよく雑用ばかりやっていたよ。でも写真からわかるように美人で、しかも人柄だって申し分無くてね、所内のアイドルみたいな人だったよ。まぁ、本人は所長の手前か本当にかはわからないが、よく必死になって否定していたけどな、それがまた俺達には可愛くてねぇ」
 森本忍。聞いた事も会った事も無い人だ。
「けれど忍さんはこの後すぐ、梶原精機工業株式会社の跡取りと結婚したんだ。そうしてすぐに森元研究所はそこに吸収合併という形になり、俺達はバラバラとなった。噂では森元研究所と言うか、森本家に対する利権存続のための結婚だったなんてのも飛び交ったが、真偽は定かではない。ただ、俺を含め、当時そこにいた男連中のほとんどはガッカリしたもんだ。そりゃ、職が無くなるってのも当然あったけれど、むしろ彼女ともう仕事できないってのがね」
 苦笑いを浮かべる飯田老人は台所の方を一瞥すると、より一層口元を歪めた後、修吾の方を真面目な顔をしながら向き直った。
「中でも重光は特に残念がっていたみたいで、口にこそ出さなかったが、それが元で残って欲しいとの要請を蹴ってそこを去ったのはただの憶測ではなく、事実だろう。いや、研究者としての人生をもそこで終え、その後は普通の企業で働くようになったらしいが……いや、本当にもったいない、あの才能があの時で世に埋もれてしまったのは。しかし、その気持ちがわかるだけに、あの時に続けろとは強く言えなかったよ」
 それほどまでに爺さんを動かした森本忍と言う人こそ、きっとこの暗号の答えを知っているか、かなり深い部分で関わっている人なのだろう。謎の中心は間違いなく彼女だ。その居所さえ掴めたなら、全てが終わる。
「それで、その方は今どちらに」
「さぁ、どこなんだろうかな。親交など今はもう無いし、当時研究所があったところには別の建物があるはずだ。何でも後で聞いた話だが、当時の森本家はもう無いみたいだし、研究所もとっくに閉鎖したらしいな。まぁ、それも四十年以上前に耳に入ったものだから、今となってはその研究所も取り壊されているだろう。それに梶原精機工業株式会社、今のケーエスとか言うところか、そこに聞いたところで社長宅は恐らく教えてくれないんじゃないかな。幾ら君達がそこにゆかりある人物と言っても、無理だろうなぁ」
 ケーエスと言えばそれなりに大きな会社で、時折テレビCMなどでも目にする程の企業だ。確かにそんなところへ突然、社長宅を教えてくれと頼んだとしても、取り付く島無くあしらわれるだけだ。身分を明かし、爺さんの関係でと伝えたとしても、最近物騒な事件も多いので、叶わないだろう。
「そうですね、きっと無理でしょう」
 この謎にショートカットは無いのか。何とかそれを探そうとするのだが、様々な障壁に阻まれてしまう。ようやくキーマンを見付けられたと言うのに、その人がどこにいるのかわからなければ何の意味も無い。きっとこの謎は爺さんとその人との間にある、何らかなのだろうから。
「ねぇ、そうしたらやっぱり、これを見るしかないんじゃないの」
 明日香が言うように、残された手がかりはこの一通の書簡だけだ。きっとこの中にあるのはまた、よくわからない暗号文。ただ他に選択肢が無い以上、手にするしかない。俺は二度小さく深呼吸すると、意を決してそれを手にし、中から三つ折りに畳まれた紙を広げてみた。


『それは食料でも仙術でもなく、妖怪のための地。彼らが集まりし場に「御玉鏡堂」と言う店を構える佐々木光康に、我が名を伝えるがよい。ただ、もし何らかの事情でそれが叶わなくば、山桜近くにある神社の神主を訪ねるがよい』


 やはり一見して、すぐわかるものではないようだ。けれど今回も人名が出てきていると言う事は、一縷の望みがある。これまでこうした暗号文には研究員時代の人々の名が連ねられてきた、だからきっと今度のもそうであり、もしかしたら知っているかもしれないだろう。俺は暗号文に目を落としている飯田老人の顔を覗き込んだ。
「この佐々木光康と言う方をご存知ですか?」
「あぁ、知っているよ。研究員時代の先輩で、よく面倒を見てもらったもんだ。人の良い方でね、重光も俺も他の人も、仏のミツさんと呼んでいたよ。ただ、今はどこにいるのかさっぱりわからないなぁ。それにあの人、体がそんなに強い方じゃなかったから、今はどうなっているかも定かじゃないな」
「そうですか」
 やはり一筋縄ではいかないみたいだ。多分爺さんは知り合いから知り合いへと、簡単に行かない人選をもしていたのだろう。厄介な事しやがって。こうなると、まともにこの暗号を解くしかないのだろうが、まだできるならば暗号解読なんかせずに終えてしまいたい。金も時間も労力もかけず、終えてしまいたい。
「それではこの暗号、何か心当たりでもありますか?」
「いいや、何も。すまないね、力になれなくて。重光は頭が良かった分、こうしてたまにわかりにくい言い回しを面白がって使っていたりしたからな、まったく悪い奴だよ」
 そう言って笑う飯田老人の瞳は今ではなく、過去を写していた。遠くなったあの日々に今の感情を重ね、そうして得るものは慰みか懐古か。そんな彼を見詰める二人の瞳には、失意の今しか写っていない。
「そうですか、わかりました」
 また暗号解読か、しかも今度はヒントが少ないからどこから答えを導けばいいのだろう。あぁもう、あと少しなのに、もう少しで全て解決すると言うのにもどかしい。ここで考えるのもなんだから、宿に戻って広岡に報告と相談を兼ねた……あぁ、しまった。
 くすんだ掛け時計に目を遣れば、既に午後七時を回っており、外へと目を移せばすっかり暗くなっていた。虫達による交響曲が偉大なる郷愁よりも、言い知れぬ不安と恐怖を掻き立てて、修吾の顔を白くさせる。バスが無い。この都会では割と些細な事実が今、何物よりも大きな絶望だった。
「ねぇ、もうこんな時間だよ」
「わかってる」
 爺さんの話が一段落したから明日香も現実に立ち返ったのだろう、小声で不安をぶつけてきたが、それをどうかする術は知らない。歩いて戻るなんて、自殺行為だ。車通りも無い勝手わからない山道、到底戻れるとは思えない。では泊めてもらうしかないのだけど、つい先程会ったばかりの俺達を果たして泊めてくれるのだろうか。断られたらどうしようか……。
「そういや、もうこんな時間だ。まだ晩御飯を食べていないんだったら、一緒にどうだい。大したものは出せないが」
「あぁ、いえ、ありがたいんですが、そろそろお暇しないと」
 軽く頭を下げて僅かに下がる修吾に、飯田老人は全てを察しているかのように笑いながら、その動きを片手で制す。
「なに、遠慮しなくてもいい。どうせバスでここまで来たんだろう、だったらなおの事だ。もうこんなに遅くなればバスは無いんだし、歩いてなんてとてもとても。息子達が使っていた部屋が空いているから、今日は泊まっていったらいい。それに俺ももう少し、重光の話を聞きたいからな」
 願ったり叶ったり。けれど俺も明日香もあまりにはしゃぐとみっともないと思ったので、どこか遠慮がちに笑う。
「すみません、ではお言葉に甘えさせていただきます」
「よろしくお願いします」
「なに、これも何かの縁だよ。そうして世の中廻っているんだから」
 その夜、丁寧なもてなしを受け、俺と明日香は以前息子さんが使っていたらしい部屋を貸してもらった。二人きりになって明日香と共に軽く暗号の事を考えてみたものの、何一つ前に進んだ気はしなかった。やはり様々な事に対する知識が無いのでネットに頼りたいのだが、ノートパソコンを持ってきていない以上、どうにもならない。あての無い推論を繰り返すばかり。だが、その中でもまとまった事が二つ三つある。
 一つは今回の暗号のキーワードが、共通点であるとの事。食料でも仙術でもなく、妖怪のための地とあったが、言い換えるならばこの三つは同じ言葉だろう。その名称から次に行く土地を割り出さなければならないが、現時点ではここまでが精一杯だ。食料も仙術も妖怪も、どれも数が多すぎてどこから探せばいいのかわからない。ひとまず保留だ。
 もう一つはこれまでの暗号と違って、指定した人とは別の場所をもあらかじめ書かれていると言う事。これまでは三瀬さんや飯田老人の名前だけが記されていたが、今度のは佐々木光康と言う人がもしいなければ、どこかの神社にいる神主を訪ねろとある。もしあの絵から遺言を見付けるのが十年か二十年遅ければ、三瀬さんや飯田老人だってどうなっていたかわからないし、彼らの家もまた同じだ。家を取り壊したり、遺物整理などのどさくさの中、託された遺品が残っていたりする保障はどこにも無い。
 そう、この謎自体、十年後や二十年後を見据えたものではないんだ。長くとも十年以内を見越してのものだろう。そうでなければ、死亡や転居などが起こりえてしまうために、暗号の答えが意味を成さなくなってしまう。これら一つでも欠ければ、永遠に謎のままなのだ。
 その中で別の受け取り先をも指定していると言う事は、爺さんがそこを訪れた時、きっと佐々木さんは生死の予測ができないくらい危なく、かつ転居の危険があったのだろう。だが、神社ならば容易に潰れたり移転したりしないため、何かあった時にそこに託したものを置いてもらうよう、伝えておいたのだろう。
 試されているのは俺か、俺が爺さんに試されているのだろうか。俺や明日香の子孫がもしこの旅に出たとしても、色々変わってしまっているから達成はひどく困難なはずだ。そう考えると俺か明日香に向けたものなのだろうが……。
 恨むぞ、今更ながら。どうしてこうも難解で、回りくどい方法を取ったんだ。
 慣れぬ布団の中、修吾はその端を掴むと明日香に背を向け、丸まった。考えても今はもう不満しか出ない。だったら寝るべきだとわかっていても、周囲の暗闇が心にまで踏み込んできているかのように思え、人知れず呻いた。けれど闇はそれを何事も無く受け入れると、変わらぬ存在を主張するばかりで、それがまた修吾には苦しかった。

 翌朝、朝食をご馳走してもらってから飯田老人と別れ、再び松山市の中心部へと戻った。そして宿で一旦会計などを終えると丁度昼食時だったので、俺達は手頃なファミリーレストランへと入り、まず腹を満たした。
「さて、じっくり考えるとするか」
 食後のコーヒーが運ばれてきてからノートパソコンを起動させ、第三の暗号文を広げる。ここからが本格的な勝負だ。
「今回のポイントは食料でも仙術でもなく、妖怪のための地と言う事だ。だからこれらに共通する言葉が答えなんだと思うけど、正直どれも数が多すぎる。一つ一つ調べていくのは無理だから、まず食料にまつわる妖怪をピックアップしていこう」
『食料 妖怪』
 これでは全く駄目で、答えになりそうなものは無かった。多くが漫画やゲームに関するものばかりで、それらしいものをあえて挙げるならば妖怪の食料は人間とあるけれど、これでは共通点でも何でもない。逆にして検索してみたけれど、結果は同じだった。
 そもそも、ヒントが少なすぎてどうもこうもできない。食料なんて一口に言っても、その地域によって食べるものや名称が異なるので曖昧だし、妖怪にしてもどれが個人の創作でどれが古くからの伝承なのかわからず、これまた曖昧だ。
「仙術はどうかな」
 仙術と妖怪、どちらも実際にはありえないとされているものだから、何か共通点があるはずだ、いやこの謎に限っては無いとおかしい。そもそも、妖怪によっては何やら怪しげな術を使いかねないし、それが仙術と関わっているかもしれない。
『仙術』
 とりあえず仙術について調べてみる事にした。仙術と言っても漠然としたイメージしかなく、例えば雲に乗って空を飛んだり、不老不死だったり、天候を変えたり、動物などに姿を変えたりなど何でもありだ。けれど古来から定義付けられているものがある以上、それを正確に知っておかないとならないだろう。憶測だけではいけない。
 調べてみれば仙術も思った通りかなりの種類があり、暗闇の中でも日中の様にものを見る事ができる明目法、掌の中に気を集めて吹き矢のように攻撃をする気讃術、いわゆる金縛り状態にさせる点断術、自分の体を岩の様に重くさせる重身法、水に沈まない不溺術、成仏できない霊を成仏させる成仏法、動物霊を使役する使役法、鬼を操る召鬼法などその種別には枚挙に暇が無い。果たして一体どれが食料や妖怪と結び付くのやら……。
「広岡に電話してみるかな。とりあえず第二の謎が解けたという報告がてら、第三の謎の相談をな。明日香、その間に調べておいてくれないかな。仙術と食料とか、とにかく?がりのありそうなものを」
 ノートパソコンを明日香に差し向けると、俺は携帯電話を取り出し、広岡に電話をする。五度目のコールで聞き慣れた声が耳に響くと、極力平静さを装って挨拶を交わした。
「それで、今どんな感じなんだ? 電話してきたと言う事は、何らかの進展でもあったんだろう。それとも、また違っていたのか?」
「進展はあったよ。第二の謎の答えは確かにここ、松山市にあった。そして、また新しい謎をもな」
「本当か」
 興奮気味の広岡に対し、溜息交じりの修吾。そんな修吾の様子を察したのか、広岡も次第に熱が冷めてきたらしく、落ち着いた口調になってきた。
「新しい謎とは、どんなのだ?」
「今度のは前のより短いものなんだけどな」
 修吾が一通り説明し終えると、広岡は一段と重い溜息をついた。説明するまでもなく、絶望の証。
「難しいな、お前の言う通り確かにヒントが少なすぎて、どこから手をつければいいのか全く見当つかない。おまけに後ろにある、山桜近くにある神社と言うのも、これだけじゃ特定できないな。山桜なんてどこにでもあるからさ。だからちょっと、今すぐにはアドバイス出せなさそうだ」
「いや、いや、そうだろう。こっちも何の手がかりすら掴めていないんだ。無理も無い。それじゃ、もし何かあったら連絡するから、そっちも何かわかったら連絡くれよな」
「あぁ、わかった。それじゃ」
 電話を切り終え、ポケットにそれをしまっている最中に、明日香がノートパソコンを俺の方へ戻した。目が合うなりゆっくりとかぶりを振り、何の成果も得られなかった事を知る。しょうがない、とりあえずネットでの検索はひとまず置いておこう。
「今のままじゃ探しようも無いから、少し煮詰めていくとするか。まず、妖怪のための地とあるから、その共通する言葉はもしかしたら地名に関わっているのかもしれない。妖怪と地名、または土地に関する何かか……」
 昔から八百万信仰が根深い日本において、土地にまつわる神様や妖怪などは多いだろう。空に雷神、湖に龍、海では数多の白い手など今思いついただけで色々ある。ただこれでは妖怪全てを調べるのと変わりなく、とても調べきれるものではない。となると、もっと大きな視点で物事を見るべきなのか。妖怪の土地、聖地……。
「なぁ、小泉八雲の生まれた土地って、どこだ?」
「何なの、突然」
 不意の疑問に明日香が訝しげな視線を向けてきた。
「いやほら、小泉八雲って妖怪の話をたくさん書いた人らしいじゃないか。妖怪と言えばこの人だから、この人にまつわる土地が有力かもしれないかなと」
「まつわる土地って……確か小泉八雲って外国の人でしょ。ラフカディオハーンとか言う。だったら外国になっちゃうよ」
「じゃあ、長く住んでいた土地だとか、死んだ場所だとかで探してみるよ」
 修吾はすぐさまキーボードを叩き始めた。
『小泉八雲』
 本名はパトリック・ラフカディオ・ハーンと言うイギリス人で、後に日本人となる。名前の八雲は一時期、島根県松江市に住んでいた事から、旧国名である出雲にかかる枕詞の八雲立つから取ったとされている。その後、熊本や東京で教鞭を振るったが、狭心症により東京の自宅で亡くなったらしい。
「島根、熊本、東京かぁ。島根だと出雲そば、熊本だとその名もずばりの熊本ラーメンがあるし、東京ならば東京ばななだのひよこだのあるだろう。どれも食料にかかっているから、ほら、このどれかだよ」
 そんな修吾の言葉に明日香が僅かに眉根を寄せる。
「何だかちょっと、強引過ぎる気がするかも」
「どうして?」
 意外な反論だった。俺としては東京論がやや強引だとしても、今のところこれ以外無いと言うくらい、会心の推理だっただけに軽い憎しみさえ覚えた。
「だって、その佐々木さんって人と小泉八雲が住んでいた土地が同じって、ちょっと出来すぎじゃないかな。まぁ、仮にそれに沿って暗号が作られたとしても、出雲そばや熊本ラーメンが仙術と関わってくるとは、私には思えないんだよね」
 明日香の言う事には一理あるし、何より思いつきで行動を起こすには少し資金も気になり始めているだけに、抑えたい。ここはもう少し考えをまとめるしかないか。
「じゃあ、明日香は何か思いついたのか」
「ううん、何も。イメージとして京都とか岡山とかってそう言うの多いかなと思ったけど、これと言ったものが無いから、どうにも」
 眉根を寄せる明日香に、かける言葉は何一つ見当たらなかった。色々考えようにも、やはりヒントが少なすぎてどうにもできない。逆に言うなら、ヒントが少ないと言う事は答えがストレートすぎて、出せないのかもしれない。ストレートな答え、三つに共通するもの、それは一体何だろうか。
「とりあえず前半のは置いといて、後ろの文を考えるか」
 一頻り悩んでも何の光明も見えない前半より、まだ手付かずでも可能性のある後半だ。今はそれに賭けてみるしかない。
「まず目に付くのは御玉鏡堂と言う、固有名詞。そして山桜近くにある神社と言うものだろう。可能性は低いけど、まず御玉鏡堂で調べてみるとするか」
『御玉鏡堂』
 検索サイトで調べてみたが、該当無しだった。きっと小さな個人商店なのだろう、だからネットでは調べられないのだ。しかし、これまたヒントになりにくい店名だ。一体どんな店なのか、想像もつかない。八百屋や精肉店などではなく、骨董品店みたいな感じなのだが、そうした憶測だけでは答えのしっぽを掴めそうにない。
「駄目みたいだね」
「まぁ、最初からこれでわかるなんて期待していなかったけど、それでも少し残念だな。まぁ、次の事を考えるとして、次はこの山桜近くにある神社だな。佐々木さんのところに無ければここにあると書いてあるから、きっとこの神社も佐々木さんの事をよく知っているはずだ」
 やや不思議そうに小首を傾げる明日香は、どうやらこの繋がりをいまいち描き切れていないらしい。
「だからな、神社側としてもどこの誰だかわからない人の物を預かってくれと頼まれても、それはできないだろう。もしそれが危ない物だったら、大変な事になるだろう。だから、中を見なくても預かってもらえるくらい親しい仲なら、佐々木さんをよく知っているだろうし、彼の家も当然知っているだろう」
「なるほど、確かにそうだね」
「でも、これまた難問だよな。山桜のある神社なんて全国に相当数あるだろうから、絞りにくいぞ」
 これも前半同様、ヒントとしては弱い。だが、これに関して言えば当然かもしれない。何故なら日本各地の神社を調べさせる事を前提にしていないからだ。つまり、佐々木さんの住んでいる地域に幾つか神社があり、その中の一つが山桜の近くにある神社なのだろう。そう考えれば納得いくのだが、どうしても前半部分が大雑把すぎて、この部分にすがりたい気持ちが強く、そういうものから見れば納得なんていかない。
 しかし山桜、か。もしかしたらそれで有名な神社をピックアップすれば、答えに辿り着けるかもしれないな。今はとにかく答えがどうあれ、推理できる手がかりが欲しい。そうすれば何らかの思考展開ができて、答えに近付けるだろうから。
 とりあえず修吾は山桜と神社の関係を調べるため、キーボードを叩く。
『山桜 神社』
 山桜を有する神社は色々と見付かったが、中でも二つの候補地が見付かった。それはその名の通りの山桜神社と、地域的要因を漂わせる山内神社の二つだった。他はどうか知らないけれど、この二つに今は賭けるしかない。
 山桜神社とは岐阜県高山市にある神社で、地元の人には馬頭さまの名で親しまれているらしい。名前の由来は植物の山桜が有名だからと言うわけではなく、時の高山城城主を火事から守ったとされる名馬の名前が山桜と言うところに由来しているらしい。境内には山桜の頭骨を祀った馬頭観世音が鎮座しているとの事だ。
 もう一つの山内神社は高知県高知市にある神社で、明治四年に山内豊範が祖先の霊を祀るために建てたものとの事。では何故山桜に関係しているかと言えば、歌人の西村清臣と言う人物が次の句を残しているからだ。
『かげ移る 朝日もはなの にほひにて ひかりまばゆき 山桜かな』
 最初の謎の時に和歌が使われているので、もしかしたらと期待してしまう。こうした暗号の作り方がきっと好きなのだろうから、山内神社の方が有力かもしれない。
 けれど、どちらもこれと言った決め手に欠ける。山桜神社はその名が、山内神社は和歌が理由として一応あるものの、結局それだけだ。ただ、現状でこれら以外の候補地が無いため、資金云々言わず、考えるより行動しなければならないのかもしれない。幾ら考えたところで思考の迷宮にはまっていたり、何も見出せなかったりするのなら、一筋の可能性のために動いた方がどうにかなる。
 となると問題は岐阜県か高知県、どちらを優先するかだ。今は愛媛県松山市だから、高知に行く方が手間は少ない。だとしたら高知にまず行くべきなのだろうが、しかしどうにも心が動かない。それと言うのも、余計な一手が遅れとなり、あの三人組に先を越されるかもしれないと考えると最良の一手ばかり求めてしまい、行動にブレーキがかかってしまう。そんなジレンマに縛られていてはいけないのだが……。
「高知か岐阜なんだけど、どうする?」
 決意はある程度決まっているけれど、最後の一押しが欲しくて明日香に求める。明日香はさして考える間もなく、俺に向かって小さく微笑んだ。
「高知かな。岐阜に行ってから高知だと手間もお金もかかるから、先に高知へ行った方がいいんじゃないの。どれが正しいのかわからないけど、今なら高知を先に調べる価値の方があるんじゃないかな」
「そうだよな、そうするか」
 修吾は莞爾として目を細めながら、すぐさま高知までの移動手段を調べるため、ノートパソコンに向き直った。
 松山市から高知市へは多度津と言う場所を経由して行くのが良いらしいが、今から出発してもそこで一泊しなければならない。電車を使わず国道三十三号線を使えば今日中に着けるかもしれないけど、バス路線はよくわからなかったし、タクシーもそこまで行ってくれるか心配だったので、すぐに候補から外した。やはりこういうのは、安定した電車が一番かもしれない。
「それじゃ、出発するか」
「今から?」
 きょとんとしている明日香に俺は力強く一つ頷いてやる。
「今から。さぁ、行くぞ」
 会計を終えるとすぐ駅に行き、多度津へ向けて出発した。また電車に長時間揺られるのかと思うとうんざりするが、きっともう少しで全てがわかる。そう自分を奮い立たせ、先程キヨスクで買った松本清張のミステリ本に目を落とした。
 本を読むのはどちらかと言えば嫌いだ。さして難しくないどころか、楽しいと感じる本でさえ、すぐに眠くなってしまう。その上、読むのが遅いので、一冊読み切るのにかなりの期間を費やしてしまい、途中でどうでもよくなってしまうからだ。おかげで序盤を少し読み進めてからいきなりラストに飛んでオチを先に知り、それからまた読み始めると言う癖までついてしまったが、読書家の友人に言わせればそれは邪道だと言う。そう言われるのも何だか嫌だし、最近は家にいても読む気がしなかったので、いつしか読書から遠くなっていた。
 けれど今は違う、読書がありがたい。まず景色をぼんやり眺めているよりは幾分か刺激があるので、暇を潰せる。それに眠くなったらそれはそれで好都合で、身を任せてしまえばこの移動も短く思えるのがありがたい。明日香の方も同じくキヨスクで買った少女漫画を読み耽っているので、互いに気兼ねしなくてもよいのがなお嬉しい。
 しばらく読書に集中していたが、ふとそれが途切れ我に返った瞬間、それまで忘れかけていた不安や迷いといった感情が爆発し、車窓の外へと意識を逃がした。けれど景色は心に届かない。瞳は景色を写したまま、心でうねり狂う黒い感情を見詰める。
 もういいんじゃないだろうか。生きる目的として謎の解明に進んでいるけど、何十万もかけて危険な目にも遭って……、そうまでしなくとも生きる目的なんて他に幾らでも見付けられるんじゃないだろうか。これだって初めは何気無い思い付きからの行動だった。今からでも遅くない、何か別の方向で見出せば金も危険も少なくて済む。
 スポーツにしようか、それとも資格勉強にしようか、いややはり今一番必要だろう就職活動から仕事で生き甲斐を見出した方が良いだろう。何にせよ冷静に考えれば、幾ら天才科学者が残したものとはいえ、それがどうなると言うのか。もう爺さんの遊びに付き合うのはこれきりにして、帰ってもいいんじゃないか。もう少し、あと少しと追い求めるのはギャンブルで負けるパターンだ。今まで使った金は高い授業料か思い出のための金と割り切り、引き上げるべきかもしれない。
 高知だ、高知で最後にしよう。そこで何も見付からなければ帰ろう。今はもう何だか、疲れた。もし何年後かにまた暇ができて、やる気になった時に再び探そう。うん、それでいい。
 意識が内から外へと移ると、瞳に写していた景色がようやく心に届いたが、やはりそれはつまらないので、すぐに本へ目を落とした。そうしてまた、俺は心に渦巻くものから逃げ出して、物語の世界へと入り込む。
 多度津に着いた時にはすっかり日も暮れていたので、すぐに駅前で手頃な宿を見付けてチェックインしてから、俺たちは晩飯を求めた。ここは香川県、ならばと讃岐うどんの美味しそうな店を探し、とある店ののれんをくぐった。店内は割と綺麗で、ここ十年の間に建てられたものだろう。漆喰の柱や梁が雰囲気を作り出し、自ずと料理に対して期待が高まっていった。
 正直、うどんよりもそばが好きな俺だけど、このうどんは心から美味しいと思えた。やや細めの麺が程よいコシを持っており、甘辛い感じの出汁とよく絡んで美味しい。思わずおかわりでもしようかと考えたが、そんなに食べられないので、明日また必ず食べようと密かに決意してから、宿に戻った。
 宿ではノートパソコンを起動することなく、ぼんやりとまばらなネオンや街灯を眺めながらビールを飲んでいた。八月の夜風はねっとりとしているのに、侘しさからか、どこか寒々しく思う。だが、それがいい。今はこれでいい。明日香はもう布団に入り、明日に備えて寝ている。俺もそうした方がいいのだろうけど、もう少し、あと缶ビール一本飲み干すくらいの侘しさを感じていたいので、籐椅子に背を深々と凭れていた。
 勝負はこの次に日が昇り、目覚めてからだ。長くとも半日あれば目的の神社に辿り着けるだろうし、何らかの答えを得られる。果たして明日の日は何を照らすのだろう。俺の心はどちらなのか定まっていないが、なるべくならば少しでも納得したい。見付かろうがそうでなかろうが、ある種の納得を得たい。そう考えるのは俺のエゴだろうか、それとも当然の主張なのだろうか。
 俺は静かに缶を置くと、二本目を取りに冷蔵庫へと向かった。

 多度津で一泊した後、高知へと出発。到着したのは頭上高々と日も昇る正午だった。まずどこかに宿を取り、そこを拠点に動こうかとも考えたのだが、ここが目的地でなかった場合にすぐ移動しなければならないので、宿は後回しにして、まず昼食をと言う事になった。とりあえず、美味しそうな門構え店を探し、直感でこれだという店に入る。
「高知と言えば、やっぱりカツオだよな」
「シンプルにお刺身がいいよね」
 昼から刺身と言うのもいささか贅沢な気もしたが、これもこの旅の特権だと自分と財布に言い聞かせ、舌鼓を打つ。美味しい料理は心をも満たし、つい忘れかける活力を思い出させ、ささくれた心をなごませる。腹も満ちたところでこの気分のまま昼寝といきたいのだが、高知に来た理由はただの慰安旅行ではない。俺達は店の駐車場で顔を見合わせる。
「山内神社って、高知市のどこにあるんだ?」
「調べてなかったの?」
「いやまぁ、そうなんだよね。まぁ、でもここにあるのは間違い無いんだから、調べたらすぐにわかるだろう」
 高知にあるとばかり思っていたため、詳しい情報を見落としていた。焦りからだろうか、それとも既に意欲を失っているからだろうか。ともかくすぐに調べなければならないのだけど、往来でノートパソコンを広げるのもどうかと思うし、そのために喫茶店に入ろうにも、今はコーヒー一杯すら控えたいくらい満腹だ。では誰かに訊こうにも、何だか気恥ずかしいし、神社の場所なんてどれだけの人が知っているだろうか。俺なんて、地元の神社の場所すら、あやふやなのに。なので一旦駅に戻り、その待合所にてノートパソコンを開いた。
「山内神社は……何だ、すぐ近くじゃないか」
「ご飯食べたところの逆側にあったんだね」
 案外ここから近い事を知り、すぐさま向かえば徒歩幾らもかからずに到着できた。午後二時の厳しさを含んだ陽光が緑濃い葉を通すと柔和な微笑を見せ、自ずとその光景に頬も緩む。そして一歩進むごとに心引き締める荘厳な匂いはきっと、この陽光と木々、そして代々ここを訪れた人の足跡が相俟って成しているのだろう。
「ここかもね」
「雰囲気だけなら、何かありそうだよな。でもだからと言って、何かあるとは限らないんだけどな」
「そんな事わかっているよ」
 俺だってほんの僅かに心模様が違っていたなら、明日香と同じくこの雰囲気に心を満たして、高揚していただろう。ただ、そうならなかったのは昨日から胸を占める迷い。それが冷静さを保てたのか、それとも世の全てを悲観して見ていたからなのかわからないけど、ともかく俺は隣にいる明日香よりも落ち着いて境内まで足を進められた。
「すみません」
 周囲に誰もいなかったので遠慮気味に声をかけながら境内に上がり、中を覗く。すると、くつろいでいたらしい神主と職員数名が一斉にこちらを向き、訝しげな瞳と柔和な微笑みを同時に向けてきた。
「はい、何でしょうか」
「神主さんはどちらに」
「私ですけど」
 そう言いながら立ち上がったのは祭事などで見るよりも簡素な服装の、年の頃七十に差しかかる前だろう男性だった。やや足腰が弱っているのか立つのが辛そうだったが、立てばその姿勢はぴんと一本筋が通っており、威圧感すら与える。けれどそれにひるむ事無く、修吾は軽く一礼しつつ、柔和な表情で彼を見詰める。
「お尋ねしたい事があるんですけど、佐々木光康と言う方はご存知でしょうか?」
「佐々木、光康ですか」
 視線を斜め上に向け、神主が小首を捻るのを修吾と明日香はじっと注視していた。それには神主も気付いているらしく、何とかすぐに思い出そうと右へ左へせわしなく首を傾げながら低い唸り声漏らす。
「いや、私には心当たりありませんね」
「では、数年前にその方か藤崎と言う老人がここに何か品物を……例えば、桐箱か何かを預けたなんて話、聞いていませんか」
「うちではその様な事は一切受け付けていないので、無いと思いますけど」
 嘘をついているのかと勘繰ったりもしたが、眼を見れば未だ不思議そうに見返してきているので、きっと本当に知らないんだろうと納得した。いや、そうしないとどうにかなりそうだった。そうか、ここでもないのか。
「すみません、お邪魔しました」
 山内神社から高知駅へ戻る僅かな道すがら、ついた溜息の数は数え切れるものではなかった。夏の暑さなんて、この失望に比べるまでもない。あぁ、汗と共に心にあるこの気持ち全て流れ出てくれれば、どんなに素敵だろうか。何事にも負けない心があれば。どこへでも、どこまででも行けるだろうに、どうして俺はこうなんだ。どうして……。
「少し休むか、喉も渇いた」
 駅前の喫茶店に入り、アイスコーヒーがテーブルに二つ置かれても、沈黙は続いたままだった。交わされるのは言葉ではなく、様々な重さの溜息だけで、視線は一切ぶつからず、じっと二人してアイスコーヒーの氷の行く末を見守っている。
「もうそろそろ、いいかもな」
「何が?」
 最初に口を開いたのは修吾だった。枯れはそのままストローを口にもって行き、視線を下へ向けたまま明日香の言葉を受ける。
「だから、もうここらで引き上げた方がいいんじゃないかって思うんだ。行けども行けども終わりが見えないし、変な奴らにも狙われていたりしている。それに、結構金もかかった。だからこれ以上無駄な事をするよりは、ここらで一旦終わらせようかとも思うんだ」
「ふぅん、そう。お兄ちゃんがそう考えているんなら仕方ないよね、もう止めようか」
 案外あっさりと同意してくれた明日香だったが、何だかその態度と口調に腹が立ち、自ずと目付きがきつくなる。どうして肯定しない、何故そんな嘲るような態度を取る。
「何だその言い草、不満ありそうだな」
「別に。どうせもうこの旅を終わらせる気があるんでしょ、だったら聞かなくてもいいんじゃないの」
「……何が言いたい?」
 殊更いやらしい挑発的な笑みを浮かべたまま、明日香がゆっくりと口を開いた。
「これまでのが無駄って考えなら、これ以上やっても無意味だよね。正直、がっかりしたよ。一度自分で決めた事ならどんなに辛くてもやり遂げるって思っていたのに、途中で投げ出そうとしているんだもん、裏切られた気分だよ」
 馬鹿な幻想ばかり抱くな。そう喉まで出かかった言葉をアイスコーヒーと共に飲下す。言われなくてもわかっている、こうした考えに一番ショックを受けているのは他でもない、俺だ。けれど、どうしようもないじゃないか。これだけ金を、時間をかけて探しているのに、謎を解けども答えに辿り着けないんだ、腐りたくもなる。
 俺だって本当はまだ探したい、できるなら最後まで付き合って全てを解明したい。だけどもう、今はそんな気力が湧かない。見えないゴールに向かってひたすら走り続けられる程、俺は強くないんだ。そうするのが人生と言われても、皮肉めいた微笑みしか浮かべられない。
「どう思おうが、勝手だ。ともかく今はもう、駄目だ。何も浮かばないし、何も見えない。旅に疲れたよ」
 すっかりくたびれた表情の修吾に対し、明日香もそれ以上強く言えないらしく、表情に影を走らせ、うつむいてしまった。
「一旦帰ろうよ、旅先のベッドじゃ疲れも取れないから、頭も働かない。それに父さん母さんだって心配しているかもしれないから、一度くらい元気な顔を見せに戻るのもいいかもしれない」
「そうだね、お兄ちゃんの言いたい事はよくわかるよ」
 小さなテーブルで差し向かいに座っている修吾に届くかどうかの声量で明日香が呟けば、訝しげに修吾が身を乗り出してきた。
「でも最後に、岐阜に行ってみようよ。帰り道の途中だからちょっと寄って、調べてみようよ。これで最後でいいからさ、折角帰る途中にそれらしいのがあるんだし、寄ってみようよ。いいでしょ?」
 熱心な明日香の弁に流されるよう修吾が折れ、力なく何度も頷いた。
「わかったわかった、でもこれで最後だからな」
 すぐにでも帰りたかったが、明日香の言う通り岐阜は帰り道の途中だ、寄ってもいいかもしれない。それに何より、これで飛鳥の気が済み、俺も納得できるのならばいいだろう。寂しいけれど、これで終わりになるならば、どこかほっとする……。

 高知で一泊してから、午前九時に岐阜へと向けて出発した。まずは岡山へと向かい、四国に心の中で別れを告げながら電車に揺られる事数時間、昼頃に岡山到着。けれどすぐに乗り換えないとならないため、岡山名物は駅弁で済ませる事となった。もっとも、和牛弁当が岡山名物かどうかと言われれば、そうだと強く言えないのだが。
 岐阜に到着したのは午後三時を少し回ったところだった。この時間だと帰るにも別の場所へ移動するにも中途半端なので、駅前の小さなホテルにチェックインしておいてから、岐阜での目的であり、この旅の終着点かもしれない山桜神社へとすぐに向かった。疲れはあるし、気力も燃えカスのようなものだが、それも今日限りだ。
 岐阜と一口にいえどもそれなりに広いもので、山桜神社のある高山市に着いたのは陽も傾こうかと悩む夕方五時半だった。この近辺で宿を取った方がよかったかもしれないと少し悔やんだが、仕方ない。俺たちは駅前近くにあるらしい山桜神社へと歩き出した。
「あるといいね」
「あぁ、そうだな。でももし、もしもだけど、ここが正解で、また暗号が入っていたらどうする?」
 僅かに眉根を寄せながら、明日香は歩き続ける。
「一応考えてみるかな、その謎を解こうと。でも、あまりにも難しかったら、さすがにやる気失せるかも……もうそんなにお金使いたくないし、昨日お兄ちゃんにあぁ言ったけど、私も旅を続ける気力が無くなってきているんだよね」
「そうだな……っと、ここか?」
 山桜神社前に立った時、俺も明日香も我が目を少し疑った。そこは今まで訪れたどこよりも小さく、ひっそりと建っていたからだ。駅から近いと知ってはいたのだが、山桜神社方面へ向かって歩いていてもそれらしいものが見えなかったので、神社入口のほんの手前で地元の人に訊くか訊かないか迷っているうちに、ふと見えたようなものなのだから。
 小道を歩き、境内へと向かうも幾らもかからずに着いてしまった。無駄に長ければ、それだけ宿に帰れなくなる恐れもあるので、これはありがたい。さっそく俺は境内の側にいたこの神社の人らしき、初老の男に軽く会釈をする。
「すみません、お尋ねしたい事があるんですけど、よろしいでしょうか」
「えぇ、いいですよ。何ですか?」
 男は人懐っこそうな笑顔と快活な言葉で持って返してきた。
「佐々木光康と言う方をご存知でしょうか? また、その方か藤崎と言う老人がここに何か預けていただなんて話、聞いていないでしょうか」
「佐々木光康さんに、藤崎さんですか、ううむ……」
 男は首を右へ左へと傾けながら何か思い出そうとしていたが、やがて力無く一つうなだれると、申し訳無さそうな瞳を向けてきた。
「いや、知りませんな。私も長い事ここにいますけど、そんな人もそんな話も聞いた事無いですわ」
「……そう、ですか。ありがとうございました」
 無理して笑顔を作るけど、それはとても力無くて情けないものだと自分でもわかる。そんな顔をあまり見せたくないので、くるりと踵を返し、足早に境内から遠ざかった。何かに祈る気にもなれなかった、すがる気にもなれなかった。ただもう今は絶望と悲しい安堵が渾然一体となり、乾いた笑顔を空へ向けるばかり。
 結局、こんな中途半端なところで終わるのか。色んな人の力を借り、ネットを駆使し、散々頭を捻っても天才と呼ばれた爺さんの考えに及ばないものなのか。こんなにも俺は無力な馬鹿なのか。あぁ、もう何を考えても何を思っても悔しいと思えないし、涙も出ない。ただひたすら……痺れるような脱力感。まるでこの空に吸い込まれ、溶けてしまうのではないかという錯覚すら覚える。そうした感覚の中、心に影を落としているのはただ一つ、結局得られなかった納得。あれだけ何らかの形で求めていた納得が、この結末をもってしても得られなかった。
 ふと横を見れば、明日香も肩を落としている。さすがにここに来る前にあぁ言った手前、そして何より自分も最後の期待をかけていただろうから、この現実が辛いのだろう。だけどかける言葉や優しさなんて今の俺には何一つ無くて、ただ互いに無言で帰るばかり。
 揺れる電車、揺れぬ心。赤く燃える夕陽の中を進む電車とは対照的に、底も見えぬ深淵に投げ出されたかのような我が心。願わくばこのままどこかへ運んでくれ、希望がほんの一握りでも生まれるまで、心も体もどこか遠くへと運び去ってくれ。頼む。
 そんな願いにも目的地のアナウンスによってかき消され、俺達は再び岐阜駅前に降り立った。すっかり辺りは暗く、腹も減っているので折角だからと名物のボタン鍋を食すも、さして美味しいと感動できなかった。沈んだ心が何もかもに影響を与えているのだろう、しかしそれをどうこうする気力なんてどこにも無く、溜息混じりに宿へと戻る。
 部屋に入ると俺はベッドに体を投げ出し、明日香は物憂げにテレビを眺めた。さして音量を大きくしていないはずだろうに、やけに大きく聞こえるのは他に物音が無いからか、それとも心が空虚だから余計に響くのだろうか。どっちでもいい、何だか疲れた。けれどこうして寝転がっていると、自ずと考えてしまう。
 食料、仙術、妖怪。仙術とは人を操り、空を飛び、不老不死になり、その様子は俺達が思い描いている妖怪に通ずるところがある。そして食料は育成させ、糧となり、やがて土へと還り、そして……駄目だ、結びつかない。幾ら考えてみたところで、やっぱり堂々巡りだ。これ以上、考えが及ばない。
 ふと明日香を一瞥すれば相変わらず、いや先程よりも更に気だるそうにテレビを見ていた。膝に立てていた肘もすっかり崩れ、陸に上がったくらげのように体を折っている。やはり何も思いつかないのだろう、すっかり目が死んでいた。
 ここで終わってしまうのか、そしてあのわけのわからぬ三人組に奪われてしまうのだろうか。きっとそうなるんだろうな。そりゃ俺だって何とかしたい、できるならばそれが何なのか知りたいし、叶うならば笑顔で帰宅したい。けれど、どうにもできないんだ。そこがどんなに高い山でも登っていこう、絶壁だとしても何とか這い上がろう。でも俺達が求める先は暗黒の海、与えられた海図の読み方がわからないまま出発したところで、目的地に着けるはずがない。
 どちらから言うともなく、寝るには少し早いけれども寝ようと言う事になり、電気を消してそれぞれの布団に入った。しんと静まり返る室内に響き渡る電化製品の稼動音ばかりが耳を響かせていたが、胸の中は夜の嵐さながら不気味に荒れていた。

 空を見上げるまでもなく日差しは爽やかで、風も穏やかな今日という日は人々の心を軽やかにさせる力がある。人も犬も草木も、ビルや車までさえも笑っているかのようだ。今日が休日ならばいつもより外へ出て、この陽気に全てを委ねる人が増えていたことだろう。実に輝かしい世界である。
 けれど、ホテルを今出たばかりの修吾と明日香にはそれが届いていない様子だ。手にした荷物が痛々しいくらい重そうで、表情もどこか虚ろ。足取りも鈍く、まるで二人の周囲だけが極寒か灼熱かのようだ。そんな二人は力無く駅へと向かっている。
 修吾は何も見えないでいた、きっとそれは明日香もだろう。瞳に目の前の景色を映しているけれども、それが何かを把握しておらず、全てを障害物とだけ認識している。行き先は駅、けれどもどこへ行けばいいのか迷っている風にも見える。靴がコンクリートをこする音ばかり頭に響き、それと共に溜息が漏れる。
「うん、誰だ?」
 そんな二人の足を止めたのは修吾の携帯電話の着信音だった。ズボンのポケットからくぐもって聞こえる好きなバンドの着信音が、やけにはっきり聞こえる手元に持ってきて、誰からの着信かと見てみれば、頼りになるあの男からであった。
「もしもし、今いいかな」
「あぁ、いいけど。何かあったのか?」
 電話の主は広岡だった。いつものように彼は明るくも礼を正した口振りで話しかけてくる。けれどそれが、今の修吾にとっては苛立ちしか呼び起こさない。
「あるにはあったんだが、そっちはどうなっているのか聞かせてくれよ。さすがに机上の空論と実際行動しているのとでは、かなり違ってくるだろうしね」
 聞こえよがしに修吾は大きな溜息をついてみせる。
「実践も実を結ばなければ、辛いだけだよ。食料、仙術、妖怪の繋がりがさっぱりわからなかったから、山桜ある神社の方を探してみたんだけど……どれも駄目でね。途方に暮れた挙句、もう家に帰ろうかと思っていたところなんだ」
「なるほど。となると、そっちは成果無しか」
 広岡にそう言われると改めて現実を突きつけられたような気がして、苦しい。別に罵られたりそしられたりしたわけじゃないけど、何だか今はひどく落ち込んでしまう。けれど、慰められるよりはずっといい。今慰められると、もう立てない気がするから。
「それで、広岡は何かわかったのか?」
 多少鬱憤を晴らすよう意地悪くそう言ってみたが、広岡は全く動じない。すると今度はその自信が何なのか知りたくなり、俺は必死に問いかける。
「なぁ、何か知っているんなら教えてくれ。こっちはもう、どうしようもないんだ。それに時間も無い。もたもたしていると、この前話した変な三人組に奪われるかもしれないんだから」
「わかった、わかったから落ち着けよ、いつものお前らしくもない。別に焦らすつもりなんて全く無いから。いいか、落ち着いてよく聞け。俺がわかったかもしれないと言うのは他でもない、あの謎の答えだよ」
「何だと」
 一呼吸置く広岡に苛立ちが湧き起こるが、それよりも更に強い緊張と答えへの渇望が胸を占める。俺は思わず生唾を飲み込んだ。そうして明日香の方を一瞥すれば、こいつもまた俺の様子から緊張しているようだ。
「俺が導き出した答えは『スイトン』なんだ」
「はぁ?」
 一瞬何の事だかさっぱりわからなかったので、思わず俺は素っ頓狂な声をあげてしまった。あれだけ悩み、さまよった末の答えがスイトンだなんて、何だか間抜けにも思えるし、納得いかない。
「まぁ、順を追って説明しよう。まず食料のスイトンだが、これは小麦粉と水と塩で作る団子状の食べ物だよ。これが食料の水団。次に仙術のスイトンだが、これは忍者とかがよく水の中に潜ったりする水遁の術だ」
「ちょっと待ってくれ、何で仙術なのに忍者の技が出てくるんだ。おかしいじゃないか」
 明確な繋がりはわからないが、忍者と仙人では大きく違うだろう。そりゃ空想の中では忍者も大きな蛙に乗ったり姿を変えたりなどしていて、随分不思議な存在だが、忍者は実在していた。けれど霞を食べて空を飛び、不老不死の仙人は実在したなんて話を聞かない。全てが空想の産物だ。だから両者を同じ土俵で考えるのはナンセンスだし、そうしてしまうと何でもありになってしまう。
 けれど広岡はこうした疑問を想定していたかのように、ややおかしそうに電話口で笑っていた。
「いいや、何も不思議じゃない。忍者の技は仙術の影響が大きいんだよ。仙人になるための、または仙人が使う技の中には五遁と呼ばれる逃げる手段がある。火の壁を作って相手を来させないようにする火遁、土に潜ってやり過ごす土遁など、それら全てを統合して遁走という言葉がある。その一つに水遁があるんだ。きっと忍者は不思議な仙術を何とか自分達でも使えるように努力したから、それを使っているイメージを残せたんだろう」
「なるほど、そう言われればそうかもしれないが、じゃあ妖怪のスイトンとは何だ? そんなの聞いた事無いぞ」
 妖怪について全く知らないわけではない。子供の頃から多少なりともそうしたものに触れ、人並みの知識はあるつもりだ。だからこそ、そんな聞いた事も無いような妖怪の名前を聞くと、適当な事を言われているみたいで、馬鹿にされているのかと思ってしまう。
「そう思うのも無理は無い、実際俺もそんなのいるなんて知らなかったし、聞いたところで納得なんてできなかったしな。でも実際にスイトンと言う妖怪がいるらしいんだ。それは岡山県蒜山高原に伝わる妖怪らしくて、広く知られていないから普通は知らなくても当然だろう。俺もこの謎のこの部分がわからず、かなり悩んだんだ。そこで知り合いや同僚なんかになぞなぞみたいな感じで出題したら、ある人がそこの出身で、スイトンと言う妖怪がいるって言っていたんだ。にわかには信じられず、後で自分でも調べてみたら、確かに岡山県蒜山高原にはそんな妖怪がいるらしいんだ」
 熱弁の広岡に、俺はもう頷くしかなかった。いや仮に熱弁じゃなくとも、頷いて指し示された道を行く以外、俺達に道は残されていないんだから、そうする他無い。
「なるほどねぇ、世の中は広い。わかった、ともかく向かう場所は岡山県の蒜山高原と言う場所なんだな。さっそくこっちでも少し調べてから向かってみるよ、ありがとうな」
「また何かあれば、いつでも連絡してくれよ」
 通話を終えると明日香が生きた眼を向けてきた。俺ははしゃぐのもみっともないだろうと平静を装うとするが、どうしても口元がにやけてしまう。
「次は岡山?」
「そうだな。まぁもう少しそこがどんな場所なのか知りたいから、そうだなぁ……あぁ、あの喫茶店でコーヒーでも飲みながら調べるとするか」
 すぐ右手には、小さな喫茶店があった。
 届いたアイスコーヒーには目もくれず、ノートパソコンに向き合って調べた結果によると、確かに食料の水団、仙術の水遁、そして岡山県蒜山高原にいると伝えられている妖怪スイトンを確認できた。蒜山高原は岡山県真庭市にあるらしいので、俺達はさっそくそこへ向かうため、アイスコーヒーを一息で飲めるだけ飲んでから、駅へ向かい、電車に乗り込んだ。
 混み具合は七割、いや六割と言ったところだろうか。車中、食事をするにはやや早かったので駅弁は買わず、ジュースのみ手にして電車に揺られる。修吾はぼんやりと流れる景色に目を向けていたが、やがて沈黙に耐えかねて明日香の方へと目を向けた。
「次は岡山か、爺さんもまた色んなとこに謎を散りばめたものだな」
「そうだね、でももうあと一つか二つ、謎を解いたら終わりのような気もするんだ。だって、先に進むごとにお爺ちゃんが何をしていたのか、何をしたかったのか明らかになってきているわけでしょ。天才的な科学者で、研究所にいたけど辞めちゃったとか」
「それと、花を咲かせたいとかいう願望な」
 そう、爺さんは科学の花を咲かせたいと望んでいたらしいが、それは何だ。前にも考えたが造花ならば幾らでも作れただろう、しかしきっとそんなものでは満足しなかったはずだ。ではその追い求めた花とは何だ、それがきっと答えなのだが……まだ足りない、これまでの旅で得られたヒントからじゃ、まだそれがわからない。
「一体爺さんはどんな花を咲かせたかったんだろうな。爺さんは研磨材の研究を主にしていたらしいから、きっとその延長での何かなんだろうな。でも、それって何だろう、全く想像もつかない。努力とか成功とか恋とか、そう言った抽象的な華々しさなんだろうか。それとも、その研磨技術で実現できる物理的な花なんだろうか」
「何だろうね。お爺ちゃんの趣味とかから考えてみても、私達が知っているお爺ちゃんと天才科学者時代のお爺ちゃんとじゃ違うだろうしね。おまけにアルバムや手帳、思い出話一つ残さないくらい徹底していたんだから、全くわからないよ」
「そうなんだけど、何かこれかもしれないと思うものってないか?」
 しばし首を捻っていたが、やがて明日香は力無く首を横に振る。
「そうだよなぁ、そもそも研磨技術でどうやって花なんか作るんだろうな。何か金属とか宝石を削って、それで花の形にするんだろうか。それとも研磨のゴミを使った何かなんだろうか。例えば……粉状になったそれを使って絵にしてみたり」
 何気なく言った一言だったが、明日香の目を大きく開かせるには充分だった。
「あっ、絵はありそう。金属とか宝石を削ってできた粉を塗料みたいにすれば、花の絵とか描けるよね」
「でもそれが、天才科学者の夢なんだろうか。正直あの爺さんがそう呼ばれていたなんて今でも信じられないけど、周りからそう称賛されてきたんだ、それがそんなもので夢の達成を果たすのだろうか。自分で絵かもしれないと言っておいてなんだが、絵はきっと違うな。これじゃあ、科学の花ではない」
 俺は凡人だ、二十三年間生きてきて嫌と言うほどわかっている。勉強もスポーツも人並み程度で、社会経験も女性経験もそれほど豊富ではない。他人よりすごく劣っているものも、秀でているものも無い、ありふれた人間だ。だからそうした壁を越えた人間とは何もかもが及びつかないだろうし、そうして限界を決めて諦めるでもなく無理だとわかる。あぁ、悔しい。ひたすらに、悔しい。
 それきり無言のまま電車に揺られていると、岡山県岡山市に着いた。そこからすぐに目的地である真庭市へ向かおうと考えたのだが、もう日が暮れているし宿も大きなところで選んだほうがいいだろうと、ここで一泊する事に決めた。安宿に荷物を置き、俺達は名産品を使った晩飯を求めにネオンの光に吸い寄せられていく。
 景気付けに食べたさわら寿司はとろりとした食感で、香りも高く、柔らかかった。その味に満腹を忘れ、ついつい食べ過ぎたせいで少々高い食事となってしまったものの、その価値は充分にあったと思えた。失いかけた活力を取り戻せたんだ、それだけでも意味のある食事だった。それは俺だけではなく明日香も同じ考えをしていたらしく、宿へ戻る道すがら、交わす言葉も視線も力強さがあった。
 ネオンに照らされた夜空の更に上に輝く月も、冷たい青ではなく、穏やかな金色でもって微笑んでいるかのようだ。明日はいい日になる。何だかそんな予感がした。

 電車が岡山県中国勝山駅に着くなり、プラットホームに飛び出した俺は大きく伸びをして、胸いっぱいにこの土地の空気を吸い込む。土地によってそこまで変わるものではないけれど、こうする事によってそこに馴染めるような気がする。
 改札を抜け、どのバスに乗ればいいのか見て回ったが、結局どれに乗ればいいのかわからなかった。仕方なく、出費激しいだろうが確実に目的地へと運んでくれるタクシーにでも乗ろうと、乗り場へと向かう。
「少し待ってもらえませんかね」
 明らかに自分に向けられたその声に反応して振り返ると、俺は驚きを隠せずにいられなかった。一歩後退するが、それきりで、走ってこの場から離れられそうにはない。
 どうしてあの三人組がここにいるんだ?
 目の前にいるのは以前駅で俺を脅してきたあの三人組だった。こいつらも爺さんの遺品を狙っているのは知っているから、いずれまたどこかで鉢合わせするかもしれないと思っていたのだが、まさかこんな道端で会うとは予想だにしていなかった。隣を一瞥すれば、明日香もただ事じゃない雰囲気を察したのか、どこか不安げだ。
「いや、まさかこんなところで会えるとは思っていなかったよ」
 加賀谷と木塚の間から多田が一歩前にでるなり、不気味な微笑を浮かべ、嬉しそうに二人を眺める。
「どうしてここへ……」
「君が素直に教えてくれないものだから、当時の知り合いを訪ねてみようと思ってね。あの重光の事だ、もし遺した物が奴の研究に関するものならば、ゆかりのある者に預けるだろうと思って、この近くに住んでいる当時の知り合いを訪ねに来たのだ。そうするとどうだ、君がいるじゃないか。君の事を詳しくは知らないが、何の用事も無くこんなところにいるはずがない。そうだろう?」
 更に一歩踏み出してくる多田に対し、修吾は僅かに体を引く。
「答えたくないのならいい、けれど君がここにいるのが何よりの証拠じゃないか。この近くにいるあいつが、きっと何か知っているんだろうさ。さぁ、教えるんだ。お前は一体何を嗅ぎ回っている。やはり重光が残した最後の研究結果なんだろう、そうなんだろう?」
「さぁ、何の事だか僕には。ここにはただ、昔の友達がいるんで遊びにきただけですよ」
「嘘をつくな」
 低くしゃがれているが、空気を切り裂くかのごとく鋭い多田の物言いに、修吾の顔も強張った。けれど修吾の方もまだ余裕ある笑みを崩さず、柳に風を貫こうと呆れた様子で首を傾げる。
「何を根拠に嘘だと。俺の名前も家も知らないくせに、何を言うんだ。何も知らないくせに嘘か本当かなんてわかたないじゃないか。ハッタリばかり言って脅して、それで自分の都合のいい方へ持っていこうとするなんて、三流以下の誘導尋問じゃないのかな」
 多田はにやにやしながら、噛んで含むように頷く。
「そうだな、確かに私は君の名前も家も知らない。どんな経歴でどんな趣味を持っていて、どんな友人と付き合っているのかも知らない。重光の孫だと言う以外、知らないと言っても過言ではないな」
 自嘲気味に溜息を吐き出し、視線を下に落としたと思うが早いか、多田は大きく目を開いてキッと修吾を睨んだ。まるでそれは獲物の最期を目前にした蛇のようだ。
「けれど一つだけ確かな事がある。それは君がここにいる事だ。大学で重光に関する何かを得て、私がそれは何かと訊けば逃げ出し、駅で会えば押しのけてまでして、また逃げる。そうしてようやくまた出会えた場が、昔の研究仲間がいる近くだ。これで何も無いと言われて信じる方がどうかしている、何かあるから教えないのだろうし、逃げるのだろう。何も無いと言うのなら、大学で得たものが何だったのか渡してくれてもいいじゃないか。それすらできないのならば、疑われても仕方ないだろう」
「あれは自宅に置いてきましたよ、友人の家に行くのに爺さんの遺品なんて必要無いでしょう。さぁ、もういいでしょう。どいてくれませんか」
「いいやまだだ、だったらそのカバンの中を見せるんだ。何だったら十万払おうじゃないか、十万。けれど重光に関すると思われる物があれば無条件で見せてもらおう。君は重光に関するものは無いと言っていたからな、まさか嘘などつかないだろうさ、本当に何も無いのならな」
 ずいっとまた一歩踏み出す爺さんの眼を見て、これはもう何を言い訳しても無駄だと悟った。そこそこの金を提示されてまで頑なに断れば更に疑いも強まるし、この勢いならばふっかけたところで、十万や二十万どころじゃ済まないだろう。単なる若者がカバンの中を見せるだけで何十万もの大金をもらえるとなれば、喜んで見せる。俺だって何も無ければ一万でも見せただろう。ただ、だからと言って見せたらそこで終わりだ。パソコンの中にあるデータは隠し通せるとしても、ここには第二第三の遺言書がある。それが爺さんの字だとわからずとも、意味深な事が書かれてあるから怪しまれるだろうし、何より文末に書かれている研究員仲間の名前を見られれば、これがそうだとバレてしまう。
 ならば逃げるしかない。けれどすぐ側のタクシーに乗ろうとしても、簡単に捕まるだろう。そうかと言ってあまり遠くへ逃げようとすれば、明日香が捕まるに違いない。
 三つ前のタクシーだ、乗るべきはそれだ。先頭ではないからすぐに発進といかないだろうが、乗ってしまえばこっちのもの。ドアをすぐに閉めてもらえればいいし、それができなくとも争い事が起こればすぐに警察が来るだろう。
 勝負は一瞬。
 三人全てをかわすのは無理と判断し、俺は中年の方に体当たりをしかけた。金髪ピアスはそのまま受け止められたら終わりだろうし、爺さんにやろうにも両脇から挟まれるだろう。だからこれしか無いとばかりに、俺は全力で肩からぶつかっていった。
「ぐぁ」
 加賀谷は直前にやや構えたものの勢いに負け、後ろに突き飛ばされ、二歩三歩よろめきながら倒れた。そうして修吾は多田を無視し、木塚の方へ拳を振るう。修吾に襲いかかろうとしていた木塚は虚をつかれ、それをかわすために大きく後ろに一歩跳び退った。
 今だ、いける。
 その勢いのまま明日香の手を引き、三人の間を抜けた。勝った、このまま逃げ切れられる。目的のタクシーはこうなれば目前だ。訝しそうな顔をしている運転手も、まさか追う奴を入れないだろう。とりあえず目的地は北とでも言っておこう、そうしてこいつらを引き離してから、蒜山高原へと向かえばいい。
「やだっ、離して」
 悲痛な明日香の声が、そうした予定をぶち壊した。手を引いてもそれ以上進まない。慌てて振り返ってみれば、目を血走らせた金髪ピアスが明日香の左腕をしっかりと掴んでいた。余程強い力で握っているのだろう、明日香が恐怖の中にも僅かに苦悶の表情を浮かべている。
「何逃げようとしてるんだよ、お前ら。俺達は平和的に話し合いしようって言ってんだろ、なのに突き飛ばすだの逃げようとするだの、完全に俺らの事舐めてるだろ、あぁ?」
 勝ち誇った木塚が怒気を孕んだ調子で笑いながら、修吾を睨みつける。その隙に倒れていた加賀谷が起き上がり、服のほこりを払いながら鬼の形相で修吾へと近付くが、多田に軽く肩を叩かれ、立ち止まった。
「これが証拠だな、何も無ければこんな事をしまい。さぁ、知っている事を全て話してもらおうか。なぁに、重光と私は同じ研究者仲間だったんだ、君達の悪いようにはしないから大丈夫だ。ただ、私の部下はどうかわからないがね」
 まったく、嫌な笑いを浮かべる爺さんだ。それに何だこいつら、何が平和的にだよ、人質とって脅しておいて。けれど、このままじゃどうしようもないのは確かだ。戦うことも逃げることもできない。だったら話すべきか? いやしかし、それだと何のためこうも必死に考えて、旅をしてきたのかわからなくなってしまうし、全て喋ってしまうと今後答えなりヒントが手に入らなくなってしまう。譲りたくない。
 しかし、今は目に見える危機がここにある。金や情報を守って怪我をしたり、明日香に何かあってしまってはいけない。わかってる、どちらも大切だと。だから……早く誰か助けてくれ、誰か仲裁に入ってくれ、誰か警察を呼んでくれ。
「貴様、何を黙っているんだ。先生がお前のようなクズに尋ねているんだ、早くおっしゃる事に答えないか」
 顔を真っ赤にした加賀谷が一歩前へと歩み寄るが、修吾は唇を真一文字に結んだまま睨み返す。その微塵も退かない姿勢に加賀谷の怒りが臨界点を迎えたらしく、大きく目を剥き、歯ぎしりする。
「お、お前のようなクズが、お前のようなゴミが先生からお声をかけられていると言うのに、な、何だその態度は。ふざけるのもいい加減にしろ。その考え、徹底的に、徹底的に俺が改めてやる、教え込んでやる」
 正にそれは悪鬼とも言うべき表情だろう。加賀谷は狂気に満ちた眼で修吾をとらえると、半笑いのまま殴りかかった。それが不意だったか状況がそうしたのかわからないが、加賀谷の右拳が修吾の左頬を強烈に捉えると、修吾がよろめいた。続けて加賀谷が左、右と拳を振るい、乾いた音を響かせる。
 ふざけんなよ、この野郎。
 修吾は頭を守りながら体当たりをし、そのまま加賀谷の右足を持ってバランスを崩してやると、押し倒した。そうして加賀谷に馬乗りになった修吾が、ここぞとばかりに顔を殴る。右だ左だと拳を振り下ろす。呻き声をあげ口の中を切り、鼻血を噴く加賀谷に容赦しない修吾の顔もまた、襲いかかってきた時の加賀谷と同じであった。
「おい、俺を忘れるんじゃねぇよ」
 苛立たしげに怒気をぶつける木塚は、より一層明日香の腕を捻る。苦痛に顔を歪め、何とか痛みから逃れようと明日香が背を反るけれど、それ以上に木塚が力を込めているらしく、途切れ途切れの呻き声が漏れるばかりで言葉にならないようだ。
「この野郎」
「はっ、別にかまわねぇぜ俺は。お前が手を出しても、俺はいいんだぜ。けどな、そうした瞬間にこの女の腕は折れるぞ」
 単なる脅しかもしれない、しかしもしかしたらやるかもしれない。その可能性がほんの僅かにでもあるならば、動くべきではないのかもしれない。きっとはったりなのだろうが、あの眼には危険な香りもする。悔しいが、ここで迂闊に挑発したり動いたりすれば、明日香の腕が折られてしまうかもしれない。下手に折られると、一生物の後遺症が残るかもしれない。俺の求めているものに、そこまでの代償は求められない。
「よくも、よくもやってくれたな」
 修吾が加賀谷から離れるなり、唇の端を少し切ったらしい加賀谷が手の甲でそれを拭い、血混じりの唾を吐き捨てながら立ち上がると、殺意に満ちた眼の中に修吾を写した。その色は木塚なんかと比べ物にならないくらい、危険だ。そうした加賀谷が修吾の胸ぐらを掴むと、眉間に唾を吐きかけ、醜悪に笑う。
「覚悟するんだな」
 言うが早いか、右に左に加賀谷が修吾の頬を力いっぱい殴る。ひるんで身をかがませる修吾に加賀谷の拳は容赦無く襲いかかり、次第に修吾の意識も薄れかかる。右頬、左頬、額に口元、まぶたにこめかみ、雨あられと加賀谷の拳が降り注ぐ。
「やめて、もうやめて。助けて、誰か!」
「うるせぇ、黙ってろ」
 明日香の決死の叫びも木塚に口を押さえられ、腕を捻り上げられてしまうと、力無い呻きに変わってしまった。彼女の眼からは苦痛とも悔しさともつかない涙が滲み溢れ、頬を伝う。
 ……殺してやる。
 このまま黙っていても、何もならない。そう思う以上に親しい者の苦悶、自身の痛みに理性のタガが外れ、気付けば修吾は加賀谷の顎を砕かんばかりに打ち抜き、倒れかけるのを見計らって思い切り顔面を蹴り飛ばした。血を噴き倒れる加賀谷にもう一度、痛烈な一撃を足先で見舞う。そしてそのまま木塚が似の手を打つ前に多田の後ろに回り、そのまま腕を使って首を締め上げた。いわゆるチョークスリーパーだ。
「ぐぅ、貴様……」
「ほら、明日香を放せよ。さもなくばこの爺さん、そのまま絞めるどころか、この首をヘシ折るぞ」
「はっ、そんな脅し」
 木塚が一歩前へと踏み出そうとする。
「や、やめろ、動くんじゃない」
 多田の悲痛な叫びに、木塚も躊躇する。木塚個人は多田に何の恩も義理も感じていないため、多田がどうなろうがかまわないのだが、それを留めるのは加賀谷がいるからだった。加賀谷の存在無くして、木塚が多田への表面上の敬意なども無い。
 木塚は昨年の前期試験中、加賀谷にカンニングしているところを見られた。カンニングが発覚した場合、その年の単位が全て認められなくなるため、木塚は留年の覚悟をした。幾ら強がっていても、一年無駄にしてしまうのが恐ろしかったのだ。
 けれど、加賀谷はそこで退室処分をせず、黙ってテストを続けさせた。そこにどんな意図があるのかその時の木塚は考えられず、ただひたすら加賀谷の甘さと己の幸運を喜んだ。しかしテストが終わり、帰ろうとしたところを加賀谷に呼び止められると、再び木塚の背中に冷たいものが走った。けれどここですぐに認める気にはなれず、僅かな抵抗としてしらを切ってみせたものの、加賀谷の追及にすぐ屈してしまった。それはカンニングが見付かった以上に、加賀谷の狂気じみた眼光によるものも大きかったかもしれない。
 留年、いや下手したら退学をも考えていた木塚に、加賀谷がにんまり笑いながら囁いた言葉は意外なものだった。
「カンニング、それは見逃そう。前途ある若者の未来を、こんな一時の過ちで潰すような事はしたくないからね。ただ、君は学内において重大な違反を犯しているため、簡単には見過ごせない。だから取引をしようじゃないか。君はこれから私と多田先生の駒になってもらおう。なぁに、そう難しい事じゃない、我々の言う事を聞くだけだ。なん、これだけだと割に合わないだろうし、君も学生だ、金が必要だろう。少ないだろうがバイト代も出そうじゃないか。ははっ、いい条件だと思わないかね。どうだ、やらないか。ただ一つ言うのなら、君に拒否権は無い事だけだな」
 強引な取引だったが、木塚に断る選択肢は無かった。そのため最初は嫌悪感丸出しだったが、加賀谷の羽振りの良さに金づるとして擦り寄りだし、今では幾らかの恩義をも感じるようにまでなってきていた。
 だから木塚がどう思おうが、加賀谷が止めろと言えばそうするしかなかった。目の前にいる修吾をどうにかしたい思いと、加賀谷の言う事を聞かなければならない二律背反の思いが、行き場を無くした木塚の心を圧迫し、歯ぎしりをさせる。
 両者動けないまま、重苦しい時が流れる。どちらかが動けば、相手が相応の事をするだろうとわかっているため、下手な事ができない。一歩どころか、息をするのさえ気を遣う。きっかけがあれば動くだろうが、それを許さない危ない均衡がここにある。
 そうした薄氷の空気を破ったのは、遠くから徐々に近付いてくるパトカーのサイレンだった。先に動いたのは加賀谷で、木塚に目配せするなり修吾の方へと素早く近付き、大振りのパンチを繰り出す。多田を盾にしているとはいえ、限界がある。修吾は咄嗟に多田から離れ、それを避けた。
 しまった。
 迂闊にも切り札を放してしまった修吾はすぐに加賀谷を殴ろうとしたのだが、加賀谷は多田を連れ、木塚の肩を軽く叩く。すると木塚はあっさり明日香を放し、共に駅舎の中へと逃げていった。忌々しそうな目を向けて。
 嵐が通り過ぎた朝のように、タクシー乗り場前の不穏な空気が一新され、何とも間抜けて脱力した感じである。修吾はへたり込んでいる明日香に近寄り抱き締めると、明日香も安心を求めるように抱き締め返す。その様子をタクシーの運転手達が訝しそうに、またどこか安心そうに見ている。
 やがてパトカーが近くに停まり、呆然としている俺達のところへ三人の警官が寄ってきた。警官は俺の顔を見るなり心配してくれたけど、それは結局ポーズだけかもしれない。俺はあいつらが逃げた方を教えると、すぐに一人がそっちへと向かって行った。
 とりあえずパトカーに乗せられ、最寄りの交番へと連れて行かれ、取調べが行われた。犯人と面識があるのか、どんな事をされたのか、何か奪われたのか、そして犯人の特徴はどんなものかと色々訊かれた。しかし修吾は詳細を述べるような事はせず、通りすがりの暴漢三人組に襲われた、面識は無く、金品も取られていないが、抵抗したために殴られたなどと、三人組については曖昧に答えておいた。
 何故なら包み隠さず全て話してしまえば重光の遺品についても話が及ぶだろうし、何より両親にも事が及ぶだろう。また、大事になれば先々まで手を回され、これ以上進めなくなるかもしれない。それだけはまずい、折角ここまで来たのに終わりだなんてまっぴらだとばかりに、偶然の襲撃を装う。そんな修吾の意図を理解したのかしていないのか、明日香も多田達については明言を避け、集中的に修吾の言葉を重ねるばかりだった。
 そして修吾達は別に彼らを訴えたりはしない、あれは犬に噛まれたとでも思うし、もし訴えて下手にまた狙われるのも嫌なので失礼させてもらいたいと伝え、顔などの治療もそこそこに席を立った。警察はひどく不思議がっていたが、訴えないのならば面倒も無いだろうと考えたのか、気を付けるようにと言って終わりにした。二人は丁寧に礼を言い、そこを後にする。
「ねぇお兄ちゃん、何でさっきあんな風に言ったの? ちゃんと言って捕まえてもらった方が、今後のためにもよかったんじゃないの? あのまま放置したら、きっとまた何かあるよ」
 交番から少し離れると、明日香が非難に満ちた眼でそうきつく述べてきた。
「そうだな、きっとまた何かあるかもしれない。同じものを追っているのなら、なおさらだろう。でもな、あそこで全部話してしまったら、爺さんの遺品やどうしてそうまでして求めているのかも訊かれるだろう。別に俺達は間違った事はしていないが、世間からすればスキャンダルかもしれない。天才科学者が遺した遺品を争う事件、としてね。それだけは避けたかったから、あぁ言ったんだ」
「なるほど、確かにこれに関しては事を荒立てたくないもんね」
 明日香を納得させると、俺達は再び駅前へと戻った。注意深く周囲を見回してみたものの、どうやらもうあの三人組はいないらしい。逃げると同時に、きっと暗号文に書かれてある佐々木さんのところへ行ったのだろう。俺達もすぐにそうしたいのは山々なのだが、どの辺に住んでいるのかまだわからない。先に行かれるのは不安だけど、蒜山高原にまず行って、情報を得なければ道は開かれないんだ。
 タクシーで蒜山高原に着いた時、辺りは夕陽で赤く燃えていた。それはテレビなどで見る山火事の荒ぶる赤ではなく、心吸い込まれてしまいそうな神秘的な赤。まるで心の奥底から浮かび上がる、生命の根源を象徴しているかのようだ。思わず修吾も明日香も見惚れてしまい、風景の一つとして立ち尽くしている。
 一頻りそうした風景を堪能してから、俺達は蒜山高原の案内所へ足を向けた。途中、ここのホームページにも載っていた妖怪スイトンの絵や像などがあり、暗号が示した場所がここなのかもしれないと改めて思い知らされる。
「すみません、ちょっと訊きたい事があるんですけど、よろしいでしょうか」
 案内所にいた中年女性はすぐににこりと笑い返し、何事かと訊き返してきた。
「この辺りに『御玉鏡堂』と言うお店があると聞いたんですけど、どの辺りにあるかご存知でしょうか。店主は佐々木光康さんと言う方らしいのですが」
「『御玉鏡堂』ですか、少々お待ち下さい」
 そう言って受付の女性が何やらファイルを広げ始めた。そこに何が書かれているのか必死に見詰めるけれど、結局何が書かれているのかよくわからない。そうこうしているうちに、中年女性がこちらに向き直った。
「えぇと、もうそこは昨年店を畳んでいますね。なので、もうここにはありません」
 ここにあったんだ、謎の答えはこれでよかったんだ。
「では、その店主と言うか経営者であろう佐々木さんは今、どこにいるかわかりますか。僕達、単に会いたいだけじゃないんです。亡くなった祖父に関係があるので、是非お会いしたくて……ずっと旅してきたんです。だからここでわからなくなると、もうどうしようもないので」
 情に訴えるのは卑怯だと思っても、ここで守秘義務と先手を打たれてしまうと未来が無くなってしまう。例え卑怯と後で罵られようともかまわない、ともかく今は情報が必要なんだ。そうしなければ、ならないんだ。
「すみませんが教えられません、そうした個人情報を無闇に言ってしまうのは問題になってしまうので。けれどまぁ、勝手に覗き見る分には知りません。私は少し整理しなければならない事が他にありますから、ファイルの管理も甘くなる事があるかもしれませんね……独り言ですよ」
 そうしてカウンターに広げられたファイルに目を向ければ、佐々木光康氏がもうここにはいない事、実家が高梁市上谷町にあり、息子家族と共に過ごしているなどとの基本情報が書かれてあった。修吾はこうした優しさに笑顔を浮かべ、力強い握手をしようかと思ったけれど、それを止めて踵を返した。
「誰かに対して特に強く言う事はありませんけど、ここの案内所の人は素晴らしかった。どこよりもそうだと、土産話にできるくらいに」
 そうした粋な機微に明日香がくすりと笑い、黄昏時なんて言葉の似合わない夕陽に目を細めた。蒜山は雄大に赤く染まっている。
 タクシーを再び走らせ、修吾と明日香は高梁市上谷町に到着した。さっそく勝手に見せてもらったファイルに載っていた住所を頼りに、佐々木家へと向かう。既に辺りは暗く、各家庭からは美味しそうな夕食の匂いが漂ってきている。空腹に苛まれつつも、今は一刻も早く佐々木家へ向かう事が肝心とばかりに、二人は歩いた。
「ここか」
 メモした住所と表札に彫られてある佐々木の文字に安堵したが、まだ早い。既にあの三人組が来ている可能性は高いし、ここにあるだろう爺さんの遺品が持ち去られているかもしれない。その場合、どうするべきなのか。……えぇい、考えたって始まらない。進むしかないんだ。
 意を決し、呼び鈴を鳴らす。こちらからは鳴ったかどうかわからないけど、少し間を置いて中から「はぁい、ただいま」と快活で大きな声が聞こえてきた。そうして小走り気味な足音が近付き、鍵が解かれる。
「どちら様でしょうか?」
 年の頃五十半ばくらいのボサボサ頭の浅黒い初老の女性が、訝しそうに二人を見る。そんな女性に何とか警戒感を解いてもらおうと、修吾と明日香は人懐っこい微笑みを返す。けれど、それでも態度は軟化しない。
「佐々木光康さんのお宅ですよね。僕達、佐々木光康さんと以前同じ研究所で働いていた藤崎重光の孫で、僕が藤崎修吾、こっちは妹の明日香と言います」
 修吾と明日香は共に頭を下げるが、女性の不信感は未だ拭えぬらしく、その眼光を緩める素振りも無い。
「その藤崎さんが、うちに何の用です?」
「えぇと、祖父が光康さんに何か預けたらしいんですよ。祖父の遺言に書かれていたんですけど、僕達にはそれが何なのかわからなくて、それで本日、夜分遅くですが失礼させてもらいました」
「……それを信じて家に上げろって言われて、簡単に上げる人がいるの? 最近は物騒だし、あの手この手で狙ってくるみたいじゃない。うちに大した物は無いけど、それでもねぇ、信じるわけにはいかないじゃない」
 確かに疑われても責める事はできないが、こうも疑われると気分悪い。
「私達はそうした怪しい者じゃありません」
「そうは言ってもねぇ、悪い人だって自分は悪者だって名乗らないでしょ。名乗られてもねぇ、ちょっと信じられないね。だから帰ってもらえませんかね、私も晩ご飯食べている最中なもんで」
「待って下さい」
 踵を返しかけた女性を呼び止め、修吾はカバンの中から重光の遺書を取り出して、突き付ける。その勢いに女性も逡巡するが、すぐに皮肉めいて笑った。
「……こんなの見せられたからって、それがお爺さんのかどうかなんて私にはわからないし、もし本物だとしても、ねぇ」
「お願いします、どうか信じて下さい。疑われ、怪しまれるのは覚悟の上でここに来ました。突然の失礼もわかっているつもりです。だけど、それでも僕達は知りたいんです。僕達は祖父が若い頃何をしていたか、よく知らないんです。その祖父が、遺言書で自分の大切な物を預けたとあった。それを探す旅をしていて、祖父がどんな事をしていたのかある程度知り得る事ができたんですが、まだよくわからないままなんです。祖父が生きた証の断片を見てみたいんです、そうして僕たちの祖父がどんな人物だったのかを知りたいんです。お願いします、もし何か知っているのなら教えて下さい。どうか、この通り」
 深々と頭を下げる修吾と明日香に、女性も狼狽する。それは口調もさる事ながら、真摯に頭を下げる姿勢によるものも大きいだろう。しばらくそのまま両者動かなかったけど、やがて女性が苦笑しながら頭を下げ続けている二人の肩を叩いた。
「顔を上げて、ほらそんな顔しなくていいからさ。いやね、お昼過ぎに同じような事言ってきて、家に上がろうとしてきた人達がいたのよ。お義父さんが何か預かっているはずで、それを取りにきたって。でもね、何だか怖そうだったから追い返したのよ、金髪のお兄ちゃんはいるし、顔を怪我した人はいるし。人違いじゃないんですか、私も忙しいし、これ以上いると警察呼びますよって大きな声でね。すると若い人は怒ってね、そりゃ怖かったけど、近所の人が見ていてくれたから。だからこうして来られたら、私だってそう簡単には信じられないでしょ」
「そうですね」
 やはりあいつらが、ここに来ていたのか。けれど、どうやら何も渡していないみたいで、本当に良かった。終わらずに済んだんだ。
「でもね、あの人達と違って何だかあんた達なら信じてもいいかなって。眼が違うのよね、眼が。すごく真面目な感じがするから」
「ありがとうございます。それで、佐々木光康さんと言う方はここにいるんですか?」
 女性の顔がやや曇る。
「それがね、お義父さん、去年亡くなったのよ。肝臓ガンで」
 死んだ、だと。
 いや、ありえない話じゃない。実際爺さんだってもう死んでいるのだし、暗号文にだっていなくなった場合の事を書いてあったくらいだから、死んだとしても何ら不思議ではない。しかし、もし彼が家族に何も伝えていなかったとしたら、伝える間も無く死んでしまっていたとしたら、一体どうなるのだろう。
「では、何か言付かっていませんか。僕らが来たら何か渡すようにとか、預かっているおのがあるだとか」
「さぁ、何かあったかしらね」
 首を捻り、視線を中空に投げかける女性の表情が晴れるよう、二人は心の中で祈る。
「あぁ、そう言えば手紙を残していたかも。ちょっと待っていてね」
 そう言うなり素早く踵を返し、家の中へと駆け込んで行った。俺は明日香と顔を見合わせ、成功の確信を喜び合う。笑みを交わしての、ハイタッチ。そうして期待を込めた眼で玄関を見詰めていると、やがて幸せの足音が聞こえてきた。
「これこれ、これがあったわ」
 女性が差し出してきたのは、三つ折りにした便箋が丁度収まるくらいの茶封筒一つだった。そこには何も書かれていない。
「亡くなる数ヶ月前だったかしら、お義父さんがこれを私と夫の前に差し出したの。もし自分の研究員時代を知る人で、重光さんって言う人の子孫が来たら渡してくれって。多分、あんた達の事なんでしょうね」
「中を見て、いいですか?」
「えぇ、どうぞ。私も何書いているのか全然知らないのよ」
 修吾は丁寧に糊付けされた部分を剥がし、中から一通の書簡を取り出す。そこには達筆な字でこう書かれていた。


『藤崎重光の子孫へ

 この手紙を君達が読む頃、私はもうこの世にいないか、まともに話せなくなっている事だろう。それに、私の家もどうなっているのかわからない。時の流れにより、消えるか移るか、どちらかになっているだろう。
 私は重光から大切な物を預かった。私も中を見ていないが、希代の科学者である彼が先輩であると言う以上に私に頭を下げ、己の秘密を預かってくれと頼んできた。大切に守らねばならないだろう。しかし、私はもうすぐ亡くなるだろう身、受け継ぎ続けるには難しい。
 だから私は大神の住む神社にそれを預けた。どの神社かはここでの明言を避けよう。重光がそれはどこか示しているらしいし、何より彼との約束だから。私はただ、偉大なる科学者である藤崎重光の言を守り、これをもって生涯最後の務めとしよう。
 願わくば重光とその子孫に幸あらん事を。』


 文面から察するに、爺さんが預けた物はここに無いらしい。どうやら神社にあるらしいのだが、ここでの神社とはきっとあの事だろう。暗号文に書いてあった、山桜近くにある神社。爺さんがここに預けたと言う事は、きっとこの近くにそうした神社があるに違いない。俺は期待を込めた眼差しで、この人に目を向ける。
「あの、この辺りに山桜の有名な場所はありませんか? その近くにある神社が、きっとここで示されているものだと思うんです。祖父の遺書に、そう書いてあったので」
「山桜……この辺で山桜と言ったら、黒岩の山桜ね。神社と言ったら、茅部神社かも。あそこは本当に時期になったらすごくてね、お義父さんもよくお参りに行ってたもの。もしかしたら、そこかもしれないわね」
 修吾と明日香の顔がパッと晴れる。それを受けて女性も、どこか満足げに微笑み返す。
「わかりました、ではそこに行ってみます。本当にありがとうございました、突然訪れた僕達を信じてくれて。それでは」
「いえいえ、こちらこそ疑ってごめんなさいね。探し物が見付かるよう、私からも祈っておくわ。それではお元気で、また何かあったら寄ってよね。今度はちゃんとお茶にお茶菓子ともてなすから」
 互いに礼を交わし、修吾と明日香は笑みを浮かべてそこから立ち去った。当初は疑われたり、多田達一行が先んじたりしてどうなる事かと心配していたが、こうして次へ進める事ができて、大きな安堵を感じていた。だからこそ、次なる目的地の茅部神社へ向かう足取りも速く、力強いものとなる。
「あの三人、何しているんだろうね」
「さぁな、もう違うところにでも行ったんじゃないのか。真庭市でもここでも不審者扱いされたのなら、さすがに居辛いだろう」
「そうだけど、でももしこの辺で私達を待ち伏せしていたとしたら、どうしよう。暗いし、辺りにあまり人もいないから、今度こそどうなるかわからないよ」
 なるほど、明日香が心配するそうした可能性は否定できない。自分達が佐々木さんの家で何も手に入れられないとしたら、俺達を襲ってくるのは自明の理だ。俺達が真庭市にいたと知られている以上、あいつらが佐々木さんの家を訪れている以上、この辺りをうろつくだろうと予測されていても不思議じゃない。
「気を付けておくに越した事はないな」
 かと言って、どう気を付けておけばいいのかわからなかった。もし突然飛び出されてきたら逃げ切れないだろうし、挟み撃ちにされたら本当にどうしようもない。だからできる事はと言えば、周囲の気配に気を配る事だけであった。
 けれどそれは杞憂に終わり、何事も無く俺達は茅部神社に到着できた。さすがに山桜が咲き乱れているどころか花一つ無いけど、そうではなくとも圧倒的な緑の波に心奪われる。もしこれが綺麗な花をつけていたら、一体どれほどの感動を受けていた事だろうか。
 しばらくそうしていたが、やがて本来の目的を思い出し、本殿へと向かう。ここに来る前から予測していたが、案の定本殿は暗く、誰もいない様子だ。周囲を見回しても、明かりが灯っておらず、もうみんな帰ってしまったのだろう。
「出直すか」
「残念だけど、そうするしかないね」
 この時間だ、幾ら待ったところで誰か来るとは思えないし、また今日はあまり夜の闇を感じていたくない。名残惜しいが踵を返し、俺達は備中高梁駅前まで戻り、適当な宿に入った。夕食は何か特産品や名物をと言う気にはなれず、コンビニで弁当を買うだけで済ませた。もちろんそうしたのは疲れがあったからなのだが、それ以上に今何を食べても楽しむ余裕が無かったので、腹を満たす事を優先しての事だった。
 明日は何事も無く、道が開けていますように。
 そう人知れず祈りながら、修吾は固い枕に頭を預け、眠りの世界へと身を投じた。

 翌日、改めて茅部神社を訪れたら昨夜とはまた違った山桜の木々に圧倒され、思わずまた見惚れてしまった。周囲には地元の人のみならず、観光客と思しき人々もそれなりにいる。それはこの参道の桜並木もさる事ながら、古代のロマンに心惹かれた人も多いからだろう。俺は神社の奥にそびえる山を見る。
 ここ蒜山地方には高天原伝説が根強く信じられている。いや実際に豊栄、大蛇、祝詞などの地名があり、神話の時代から続く土地としての名残を見せているので、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。茅部神社は天照大神を祀っており、その奥にそびえる山が岩倉山、中腹にはあの天岩戸があるとの事だ。
 神話にそう詳しくない俺や明日香でも、昨日ここについて調べたら心踊り、すごいすごいと連呼していた。そうして今日またここへ来てみたら、美しい景色と神話のロマンにまた感じるものがあった。そっと神に成功を祈り、本殿へと足を進める。
 本殿の前には職員らしき人が何人かいた。その中でも一番年配らしき人に近付き、人懐っこい笑みをもって一礼した。
「すみません、ちょっと訊きたい事があるんですが、よろしいですか」
「はい、何でしょう」
 年の頃七十そこらに見える老齢の男性が、柔和な笑みで聞き返す。
「あの、佐々木光康さんと言う方をご存知でしょうか。彼がここに預けた物を引き取りにきたんですけど、わかりますか?」
「佐々木、光康さんですか……さぁ、私にはちょっと。あっ、もしかしたら神主さんなら知っているかもしれませんので、ご案内しましょう」
 男性に案内され本殿に入ると、奥の部屋へと通された。どう見ても職員の控え室みたいな雰囲気で、俺たちは香の匂いに肺を満たしながら神主さんを待つ。手持ち無沙汰気味に周囲を見回し、ひっそりと溜息をついたりなどの五分間を潰していると、ドアがノックされ、開かれた。現れたのは八十近い、すっかりと禿げ上がり、しわだらけの男性が年を感じさせない元気な笑みをたたえて頭を下げてきた。つられて俺達も頭を下げるなり、彼は向かい側のソファに腰を下ろした。
「どうもこんにちは、私はここで神主をしている福沢忠道と申します」
「こんにちは、僕は藤崎修吾と言い、こっちは妹の明日香です。単刀直入に言えば、今回ここを訪れたのは、僕の祖父が佐々木光康さんに預けた物を引き取りに来たためです。佐々木さんは亡くなる前、それをここに預けたとの事なんですが、ご存知でしょうか」
「はぁ、ですが本当に佐々木さんと言う方から言付かっている方なのかわかりかねますし、あなた達の身分を証明するものが無ければ、仮にここにあったとしてもお渡しできませんねぇ」
 福沢の言い分は正論だった。それだけに修吾も嫌な顔一つせず、カバンの中から佐々木の手紙を出し、財布から自動車免許証をも出す。そしてそれらを福沢に差し出すと、彼は一礼してから手に取り、胸元から眼鏡を取り出すなり目を落とした。
「なるほど、間違い無いみたいですね。いや、失礼。佐々木さんは私もよく知っていますよ、なんせ私が彼からその品物を預かったんですからね」
「そうなんですか」
 パッと修吾と明日香の顔が晴れる。
「えぇ、佐々木さんとは個人的にも懇意の仲でして、よく親しくさせてもらっていました。それだからか、亡くなる数ヶ月前に佐々木さんが桐箱を持ってここに現れ、どうしてもこれを預かって欲しい、これを取りに来る人が必ず現れるからそれまで何としても大切に預かっていて欲しいと頼まれましてね。本来ならそうした個人の物は預からないのですが、他ならぬ佐々木さんの頼みでしたし、何より真摯に頼まれたものですから、きちんと保管してあります。今それを持ってきますので、少し待っていて下さいね」
 そう言うなり福沢は立ち上がり、部屋を出て行った。ドアが閉まる音が室内に響き、そしてそれがすっかり消えると修吾と明日香は顔を合わせ、満面の笑みでもって互いの右手をハイタッチした。乾いた音に、また心が騒ぐ。
「これで終わりなのかな」
「さぁ、どうだろうな。そうなるといいけど、今までの事があるからな、まだ先があるかもしれない。気楽にはなれないよ。しかし爺さんも、こんなにまでしなくてもいいだろうに。どれだけ大事な秘密なのかわからないけど、そろそろ終わりにして欲しいよな」
「そうだね、早くお土産買って帰りたいよ」
 期待と不安をそうした軽口で言い合っていると、ドアノブの回る音がした。二人は慌てて居住まいを正し、緊張した面持ちでそこへ向き直る。見れば福沢が傍目からも立派なあの桐箱を手にしており、彼も二人の顔を見るなり愛想だけでない笑みを返した。
「お待たせしました、これが佐々木さんから預かっていた品物です。中は私共誰一人見ておりませんので、どうなっているのか皆目見当がつきませんけど、あの佐々木さんがあぁも言うくらいですから、それはそれは立派な物が入っているのでしょう」
 桐箱はそっと修吾の方へ差し出された。

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