三十.

 眠れない。
 豆電球の薄ぼんやりとした明かりの中、目を凝らして壁掛け時計を見てみれば、針は午前三時丁度を示していた。こんな時間まで起きていると、翌日が辛いとわかっているので、目を閉じ心を落ち着け、何とか眠ろう眠ろうとしてみるけど、そう思う程に眠れなくなる。仕方なく、私は枕元の電灯を点けた。
 急に光の洪水が押し寄せ、私は慌てて目を細めた。やはり起きていたとは言え、暗闇に慣れていたみたいだ。瞼越しに光に慣れてくると、そっと目を開ける。そうすると、今まで見えていた闇の先が、見えなくなった。一抹の不安、でも少しすればそれが当然に思えた。
 上半身をゆっくり起すと、僅かに流れていたのであろう寝汗が、背中を冷やした。不快な寒さで風邪をひかないようにと願いつつ、私は一頻り薄暗い部屋を隅々まで見渡すと、一人溜め息をついた。
「浩介」
 溜め息を言葉にしてみると、途端に切なくなった。
「こんなに想っているのに……浩介のバカ」
 水花はそっと布団を抱き締めた。
 想うことは浩介のことばかり。今までの私と言えば、周囲の気遣いと手助けの上で、浩介と馴れ合いの延長線のような恋愛ごっこをしてきた。
 恋愛ごっこ。先日までは、そう思っていなかった。でも今では、はっきりとそう思える。大切だとか、信じているなんて言葉は、いつも繰り返してきた。浩介だから、なんて言葉もよく言った。もちろん言葉だけじゃなく、態度でもそういうのを示してきた。
 だけど、今こうして思い返してみれば、それは……巧くは言えないけど、ごっこ遊びだった。何かが違っていた。適切な表現かどうかよくわからないけど、きっとそれは挨拶のようなものだったんだ。周りから期待された役を、その通りに演じては満足し、自分自身も浩介の気持ちがこれで向いたと信じていた。疑いはしなかった。だって、それしか道が無かったんだから。
 でも、それはやっぱり、気持ちを伝える行為ではなく、気持ちを一時的に繋ぎ留める意味合いが強かった。いや、強かったと言うより、それに終始していた。つかず離れずの関係は深入りしない分、傷付きも傷付かせもしないから非常に都合が良く、心地良いものだった。愛嬌のある声で浩介の名を呼び、ゴハンを作り、家事等の世話をしては一人悦に入っていた。それで充分だと、自分に言い聞かせていた。
 結局それは、逃げていただけに過ぎないんだ。馴れ合いの磨耗された言葉、態度を使い続けては、本当に伝えるべきものから逃げていた。それを言えば傷付いてしまう。この関係が壊れてしまう。もし壊れてしまったら、私は一体誰にそれを求めればいいのだろう。怖くて、どうしようもなくて、いつも自分の内に潜む気持ちを隠し続け、それから大きくかけ離れた言葉や態度を重ねて、今日まで生きてきた。
「何でなんだろうな」
 深い溜め息をつくと、水花は布団に顔を埋めた。
 どうして同じ「好き」でも、こんなに違うのだろう。みおも、遥さんも私は好き。だけど、浩介に対する好きとは違う。それはわかるんだけど、あぁ、何がわからないのだろうか。程度の差はありこそすれ、好きは好き。けど、やっぱり違う。見えるけど見えない、わかるけどわからない。
 布団に埋めた顔を何度も横に振ったり、両手で布団を叩いたりと、一人水花が薄闇の中で悶える。
 こんなことで、うじうじ悩んでも仕方ない。わからないものは、幾ら考えても答えなんて出ないんだ。考えるだけ無駄。何にもならない。
「寝よ」
 顔を上げると布団を正し、水花は枕元の電灯を消した。途端に闇が全てを塗り潰し、何も見えなくなった。電灯を点ける前には見えていたものも、すっかりと。もう目を開けているのか、閉じているのかすら自分でもわからない。
 それでも、一つだけわかったことがある。もし次に浩介と会えば、会ってこの変わらない気持ちを言葉にすれば、はっきりしたものが見える。それだけは確かなことだと思った。
 遥さんが、みおが浩介や私に対してどう思っていてもいい。私は私を信じるだけ。私のしたいことに素直にならないと、きっと後悔する。それだけは嫌。過去は変えられないのだから、未来を創っていくしかないんだ。
 だけど、何故か水花の瞳から涙が溢れた。

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