十二.

 台所で洗い物を終えた遥は三十分程リビングでいつも見ていた連続ドラマを見ると、黒を基調としたシックなコートを着、庭先の掃除を始めた。
 庭先と言っても結構な広さがあり、全てを終えるのは容易ではなさそうだ。箒一本一人でやることを考えると、始める前からうんざりしてきたため、遥はとりあえずアトリエには近付かないよう、正門の方から掃き始めた。
 庭木が多いせいで、枯葉も少し掃くだけで途端に山となる。何度も集めては焼却炉で燃やし、また集めるといったことを繰り返しながら、遥はぼんやりと浩介と水花の二人について考えを巡らせていた。
 やっぱり何度見ても同じ。仲は良いけれど、恋人には至っていない。水花さんの方が必死に浩介さんに接近しようとしているけど、何だか弱いのよね。それを気遣って浩介さんの方からももっと行けばいいのに、まんざらでも無いって様子だけで終わらせている。もったい無いと言うか、もどかしいと言うか。
「微笑ましい、のかな」
 失礼なことだけど、二人を見ていると中学生の恋愛に見えてしまう。好きなんだけど、周りにどこか遠慮したり怖がったりして、素直に向き合えない。だからどこかでいじらしい駆け引きをしては、自分の気持ちに気付いてくれることを願っている。
「でも、少し羨ましいな」
 私も同じような恋をしていた時があった。あの頃の自分と重ね合わせてしまうから、色んなことを考えてしまうのだろう。
 今では何かに触れようとする度に身構え、一歩距離を置いてしまう。純な気持ちが傷付く度に、守ることを覚えてしまった。好きだけでは耐えられないことも知った。
 そんな自分になったことを後悔してはいないけど、どこかで純な頃の自分の憧れることもある。あの二人、そしてみおさんを見ていると、強く思う。
「もう戻らないのに、どうしてこんなこと考えちゃうんだろ」
 自嘲気味に笑うと、遥は天に向かって大きく息を吐いた。
 一通り正門の掃除を終え、縁側の方へ移ろうとしたところで、一人の少女が大きな荷物を持って玄関のチャイムを押しているのに気付いた。遥が心無し足早にその少女に近付くと、少女は僅かに躊躇しながら遥を見詰めてきた。
「こんにちは。あの、お姉ちゃんはいますか」
「こんにちは。ところでお姉さんとはどちら様のことでしょうか」
 その問い掛けに少女はハッとしたように目を大きく開くと、慌てて頭を下げた。
「すみません。えっと、姉の水花はいますか」
「水花さんの妹さんですか」
「はい、優美と言います。初めまして」
「初めまして。私は先日ここへメイドとして派遣された、中村遥と申します」
 一礼を交わすと、遥はアトリエの方を一瞥した。
「水花さんなら、アトリエで浩介さんと一緒にいますよ」
「ありがとうございます」
 教えたことを少し後悔した。きっと今頃は二人でもどかしい睦み合いをしていることだろう。そんな邪魔をさせて、果たしていいのだろうか。
 そんな余計なことを考えてしまったが、やはり大切な客人を帰すなんてもっての外だ。一体私は何を考えているのだろう。他人の色恋沙汰に肩入れするものじゃない。ましてや、その相手は主人である。勝手なことをしてはいけない。
 ただ、どうせなら私も一緒について行こう。下世話だとは自分でも思うけど、どうなっているのか知りたい。
「あの、優美さん」
「あ、はい。何ですか」
 遥の横を通り過ぎようとしていた優美が足を止め、遥の方へ振り向く。
「お荷物、お持ち致します」
「大丈夫ですよ、すぐそこですから」
「いえ、お持ちしますよ。これも私の仕事ですから」
 卑怯な言い訳だとは自分でも思ったけど、こうでもしないとアトリエへ行く口実が無い。
 にこりと微笑みかけると、優美もそれに心を許したのか、少し申し訳無さそうに遥に荷物を手渡した。
「それでは、お願いします。でも、大切な物なので、気を付けて下さいね」
「はい、わかりました」
 そっとそれを受け取ると、二人でアトリエへと歩を進めた。
 アトリエの前に立ち、遥がノックしようとしたのを優美が止めた。優美は囁くように、遥の耳元へ顔を寄せる。
「あの、少し驚かせたいことがあるので、私に開けさせて下さい」
 そうは言われても、きっとアトリエでは二人の世界が創られているはずだ。ここで驚かせるのは野暮だろう。けど、私は何も言えない。ただ、優美さんに従う他、無い。
 優美がそっとドアを開けると大きく目を見張り、少ししてから遥の方へ意味深な笑みを浮かべ、遥にも覗いてみるようにと、目配せをした。
 何だろう、一体。
 きっと見てはいけない。そう思いつつも好奇心には勝てず、優美に誘われるがままに、そっとドアの隙間からアトリエ内部を覗いてみた。
 アトリエでは、浩介と水花がベッドで寄り添っていた。べったり一緒とまではいかなくとも、肩触れ合う程に近付いては、楽しげなお喋りに興じている。遥の思った通りの光景。だが、いざ目の当たりにしてみれば、ひどく気まずい思いがした。
「いい感じだね」
「そ、そうですね」
 やはり幾つになっても、背徳感と好奇心がせめぎ合うものだ。優美さんを諌めなければならないのだろうけど、目が離せない。
「邪魔しちゃいけないよね」
「えぇ、そうですよ」
 優美と遥は顔を見合わせると、いたずらっぽく笑い、それからまたアトリエを覗いた。
 だが覗かれていることに気付いたのか、浩介と水花は距離を取り、恥ずかしそうに肩を竦めながら、優美と遥の方を恨めしそうに見詰めていた。優美は遥を一瞥するとアトリエに入り、少し苛立ち気味の水花に笑いかける。
「もぉ、ノックぐらいしてくれてもいいじゃない。遥さんまで一緒になってさ」
「あはは。だっていい知らせがあったから驚かそうと思っていたら、すごくいい雰囲気になってるんだもん。邪魔できないし、かと言って帰るのも何だしね」
「すみません、水花さん。ですが、優美さんの言う通り、おいそれと立ち入れなかったもので」
「でも、覗きだなんて趣味悪いなぁ」
 膨れる水花さんと、なお無関心を装いつつも照れている浩介さんがたまらなくいじらしく、私は悪いと思いつつも溢れ出す笑いを口元の歪みまでは隠せなかった。
「まったく、遥さんはともかく優美ったら」
「あ、お兄ちゃんまた新しい絵を描いてるの?」
 水花の言葉を半ば無視するようにして、優美は浩介の絵を覗き込んだ。
「何だか寂しい一瞬を切り取ったような絵だね。左端にいる膝を抱えながら天を見上げる人が、すごくいい感じ。初期ドラクロアの絵を大人しく、でももっと深くしたよう。あての無い救いを求めているのを描かせると、やっぱり巧いなぁ」
「そりゃ褒め過ぎだよ」
「ううん、本当にそう思うよ。だって、お兄ちゃんは私の先生なんだから」
「藍は青より青し、だよ」
「あはは、私はまだまだお兄ちゃんを越えられないよ」
「そんなこと、本当に無いと思うけど」
 そこまで言うと、浩介はふと遥の持っている荷物に気付いたらしく、それと優美とを交互に見る。そんな浩介を察した優美は、遥から荷物を受け取ると、中から一枚のキャンバスを取り出した。
「それが驚かせたいものなの?」
「ううん、違うよ。これはお兄ちゃんに見てもらおうと思って持ってきただけ。驚かせるのは、その後でね」
 浩介が自分の絵を外して優美の絵をイーゼルに立てかけると、水花と遥もその絵を覗き込んだ。

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