八月二十二日 水曜日

 群雲が太陽を隠してくれたからだろう、うだるような陽光に邪魔されることも無かったため、久々にぐっすりと眠れた。
 だがそれは体だけの話で、頭は眠っている間もずっと働いていたらしい。夢でまで原稿の続きを考えさせられたくらいだ。おかげで呑み過ぎでもないのに頭が重い。
 大きなあくびをしながら冬馬は書斎を出た。
 リビングでは渚が洗濯物をたたんでいた。
「おはよう」
「あ、先生、おはようございます。今日は早起きですね」
 渚がそう言うのも無理は無い。現在九時十五分。俺がいつも起きる時間より二時間近く早い。
「息子が早起きしてたから、つられてな」
「はい?」
 渚は何のことかわからずぽかんとしている。
「いや、夢の中で渚を抱いてたから」
「……先生、朝から何を言ってるんですか」
「夢の話だよ。ま、それよりメシ作って」
「えっと、お洗濯物もう少しでたたみ終わるので、その後でもいいですか?」
「別にかまわないよ。どうせ新聞読んでから食べるんだし」
 冬馬は冷蔵庫から取り出した麦茶を飲みながら、新聞を広げた。
 一面は昨日からテレビのニュースでも話題になっている、海外の大手デパートが日本にも進出してきたというものだった。
 国内のデパートにとっては死活問題なのだろうが、消費者にとっては選択の幅が広がって嬉しい。しかし金はあっても特に欲しい物の無い俺にとっては、瑣末なことだ。まあ、だから金がたまるんだが。
 新聞を読み終えると、丁度良く渚が朝食を運んできた。民宿で出される朝食のように、変わり映えの無い和食。だが洋食のように飽きがこないのは不思議だ。きっと日本人の、いや、少なくとも俺のDNAには朝は和食という情報が書き込まれているのだろう。
「先生って本当に何でも美味しそうに食べますね」
「ん、そうか?」
「はい。同じもの食べていても、先生のだけ特別に美味しいんじゃないかって思います」
「確かによくそう言われるけど、何でなんだろうな?」
「何ででしょうかね?」
 渚が不思議そうに首を捻るのを視界の上隅にとらえながら、俺は味噌汁を啜る。
「本当に、美味しそうですね」
「ま、本当に美味いんだから仕方ないだろ」
「えっ?」
 ん、何か俺そんなに驚かれるようなこと言ったかな?
「いや、美味いもの食ってるから自然と顔に出たりするんだろ。ま、メシに限らず、俺って結構顔に出やすいんだよ。だから軽い嘘なんてついても、すぐにバレるんだ」
「はぁー、そうなんですか。……って、大きな嘘はどうするんです?」
 何て鋭いツッコミだ。
「大きい嘘は真顔でついて自分すらも騙す。すると限りなく真実に近くなるからバレない」
「……なるべく私には正直でいて下さいね」
「なるべくな」
 責めるような渚の視線と合わせないよう、冬馬は味噌汁を啜った。
 朝食を終えると冬馬はすぐに書斎に入った。
 原稿とプロットを見合わせると、もうすぐ完成間近だと嫌が応にも気付かされ、気合も入る。この気持ちが消えないうちにと、さっそくペンを執った。
 二階堂さんを、いや万人を納得させられるであろう自信はある。が、それが独りよがりのものでないかという不安にも、常につきまとわされている。
 こうして書いている時は、自分の作品が世界で一番優れていると思うのだが、いざ他人の眼にさらされて評価を下されると、愕然とすることは多い。作品に思い入れが強ければ強い程、どうしてもそうなってしまう。
 今回も長田に大見栄を切っているが、果たして必ずそれに応えられるかと問われれば、素直に首を縦に振れなかったりもする。
 自らに完璧を求めるが故、こうして不必要に自分を迷わせ、その結果悪い方向にしか考えを向けられずに鬱病になってしまうのは、日本人に特に多いらしい。その中でも俺のような職種の人々には特に多いのだろう。
 だが悩んだところでさして結果は変わりはしない。今の自分にできるのは、とにかくペンを走らせ、いかにして自分自身を納得させられるかだ。
 冬馬は自分に活を入れながら、ひたすら原稿用紙に想いを刻み込んでいった。
「先生、お昼ですけどゴハンはどうしますか」
 渚の声に現実に引き戻された俺は、ふと時計に目を移してみた。十二時五分。昼だと認識してしまうと、途端に腹が減ってきた。
「適当に何か……カルボナーラでも作ってくれないか?」
「わかりました」
 区切りの良いところまで書き上げると、冬馬は書斎を出た。
 書斎を出てもまだパスタは茹で上がっていなかったので、冬馬はテレビをつけた。そうしてバラエティ番組を観て笑いながら時間を潰していると、渚が湯気立つカルボナーラを運んできた。
「先生、粉チーズ随分かけますね」
「ああ。元々チーズは好きだからな。それに、かける程に味がマイルドになるんだよ」
 そう言いながらも冬馬はしつこいくらいに粉チーズを振りかけ続ける。
「でも細かな味の好みって、人によって実に様々ですよね」
「ああ。トマトに塩かける人もいれば、砂糖をかける人もいるからな」
「目玉焼きにソース垂らす人もいますよね」
「いるなぁ。後はハンバーグに醤油垂らしたりする人とか」
「それは結構いるんじゃないんですか? あ、ほらカレーに醤油を垂らすのと一緒ですよ」
 フォークを回す冬馬の手が止まる。
「渚はカレーに醤油を垂らすの?」
「はい。美味しいですよ」
「そうか? だってカレーはインド人の食べ物だぞ。それに醤油を垂らすのは変だろ」
「でも日本のカレーは日本人独特のものですから、意外と合うんですよ」
 それからしばらく食べ物に加える調味料について熱く話し合った。
 昼食を終えた冬馬は書斎に入ると、一服してからペンを執り、原稿用紙に走らせる。
 が、満腹にしてしまったせいだろうか、今一つ頭が働かない。ペンを走らせようとしてもすぐに止まり、書き直しとなってしまう。
 こりゃ先には進めそうにないな。
「渚」
「はい。何ですか先生」
 呼ぶとすぐに襖が開いた。
「ちょっと散歩にでも行かないか?」
「はい、喜んで。でも先生がそう言うなんて珍しいですね」
「そうだな。ま、詰まったから気分転換にでも行こうかと思ったんだよ」
 冬馬は立ち上がると、渚を連れて外へ出た。
 今日は比較的涼しく、散歩するには丁度良い天気に思えた。俺はそっと渚の手を握る。
「あ、先生……」
 渚が俺の手を握り返す。小さくて温かな手。
「こうしていると、メイドってのを忘れられるか?」
「いえ。だけど先生だけのメイドだと、強く感じます」
「そっか」
 俺達は微笑み合った。群雲の隙間から射す陽光が、二人の割れたハートを少しだけ輝かせていた。
 しばらくそうして歩いていると、小さな公園に着いた。小さな子供が二人いるだけで、他には誰もいない。俺と渚はとりあえずベンチに腰を落ち着けた。
「何だかこういうの、新鮮ですね」
「そうだな。買い物とかで一緒に行くことはあっても、こうして落ち着くことは無かったからな」
「ええ。先生とボウリングしたり海に行ったりした時も、ずっとドキドキしてましたから」
「俺もだ」
 ゆるやかに時が流れる。沈黙も決して不快ではなく、柔らかな心へと変えてくれる。
「先生、一つ訊いてもよろしいですか?」
「ああ、何だい?」
「先生はどうして私を選んだんですか?」
 微笑みの中に真摯な姿勢が見える。これは適当なことを言えそうにない。
「そうだな、色々あるけど一番大きいのは、明るかったからだ」
「明るかったから、ですか」
「そう。それまで俺の心を覆っていた影を、渚の太陽のような明るさが俺を救ってくれたんだよ」
「……それじゃ、私が明るくなかったら先生は私を選んでいなかったんですね?」
 渚の瞳に暗い翳が射す。
「多分な。でも、明るいから渚なんじゃなく、渚だから明るく見えたんだよ」
「私、だから……」
「それにな、こう言うだろ。好きになる気持ちに理由なんか無いってな。俺が渚を好きになってこうしているのに、明確な意味なんて無いんだよ」
「……そうですね。私も先生が何で好きかと訊かれても、先生だからと答えるしかありません」
 ようやく笑った渚の顔には、もう迷いは無かった。渚はそっと俺の手に自分の手を重ね、俺はそれを握る。
「こうして交わった二人の道が、ずっと先まで続けば良いな」
「はい」
 そっと吹いた風が、二人の頬を緩めた。
「そろそろ行くか」
 冬馬は立ち上がると、渚の手を取り帰路へ着いた。柔らかに、それでいて固く繋がれた手には、互いの温もりが伝わっていた。
 帰宅すると、冬馬は書斎に入った。二階堂との約束以上に、渚から得た力がペンを走らせる。
 前に亜紀さんが恋愛とは利用した者勝ちだなどと言っていた意味が、ようやくわかったような気がした。
 恋は玩具であり、愛は水なのだ。玩具では乾きを紛らわせても、根本は何も変わらない。水を得てこそ、乾きが癒える。だが水は時に人を溺れさせてしまう。その辺を見極めろと、亜紀さんは言いたかったのだろう。
 冬馬はゆっくりと瞳を開くと、今まで以上に慎重にペンを走らせた。
 ふと集中力が途切れ、時計に目を移すと、午後四時だった。
「渚」
「はい」
 背後の襖が静かに開かれた。
「少し寝るから六時くらいになったら起こしてくれ。その後、風呂に入るから」
「わかりました」
 襖が閉じられると途端に冬馬は横になった。今日はさほど暑くないので、扇風機のお世話にならずとも、容易く眠れそうだった。
 瞼を閉じてもしばらくは原稿のことが頭を占めていたが、やがてすぐにそれも消えた。
 夢を見ていた。この小説がほとんど売れず、二階堂さんにクビを宣告され、フリーとなってしまった夢。
 どこかで自分を買ってくれるだろうと思っていたが、どこからも引く手は無く、職を失ってしまった。だが、それでも側には渚がいてくれた。そうしてもう一度新しい人生を歩む。そんな恐ろしく現実感のある夢を見ていた。
 枝下打つ雨音の騒ぎに起こされたのは五時過ぎだった。目覚めるとあまりの暗さに思わず寝過ごしたかと焦ったが、時計を見てひとまず安堵した。
 しかし雨か。こりゃ明日は大変なことになりそうだな。
 雨の情景は好きなのだが、その代償とでも言うべきかひどい湿気と蚊の大量発生などには、どうしても頭を悩まされてしまう。
 とにかく書斎の電気を点けると、冬馬は大きく伸びをしながら座椅子に腰を下ろした。
 別段何するわけでもなく、ただぼんやりと原稿に目を通していると渚が入ってきた。
「あれ、もう起きていたんですね」
「雨がうるさくてな」
「突然降ってきましたからね」
「散歩に出てた時に降らなくて良かったよ」
 公園から家までは走っても五分くらいかかる。五分もあればズブ濡れだ。
「そうですね」
「あ、でもそうとも言えないか」
「どうしてです?」
「濡れた方が艶っぽいじゃないか」
「この服で濡れると重くなるんで……って、いや、そうじゃなくて」
「髪の濡れた感じとか、シャツが透けた感じとか……」
 でも濡れネズミはダメだ。何事も適度が一番である。
「……先生は色々なこだわりがありますね」
「いや、これに関しては男なら誰しもが賛同してくれる筈だ。女の人の濡れた髪ってのは、妙に可愛く見えるもんなんだよ」
「そうなんですか。あ、お風呂はこれから沸かしますから、待ってて下さいね」
 思い出したように渚は書斎を出て行った。
 ……これだよ、これ。俺が長年求めていた生活ってのは。好きなことして金もらって酒呑んで、かつメイドが俺の世話をしてくれる。しかも今はそのメイドが俺の彼女……。
 思わず歌い出したくなった程に気分が高ぶってきた冬馬は、それを噛み締めながら床を転げ回った。
「先生、お風呂の用意が……何やってるんですか?」
 枕を抱き締めながらだらしなく顔を綻ばせて床を転げ回っているところに、突然渚が現れた。そんな冬馬を見詰める渚の顔は呆然としていたが、我に返った冬馬はそれよりもひどかった。
 ……恥ずかしー。
 驚天動地の心を一片も見せないように冷静に立ち上がると、冬馬は何事も無かったかのように風呂の支度を始めた。
「……あの、今日は大丈夫だと思いますけど、熱かったら水で薄めて下さいね」
「ああ」
 書斎を出て行く渚の肩は小刻みに震えてた。
 ……大失態だ。
 冬馬も渚も風呂から上がるとすぐに夕食となった。今日は焼きソバにオニオンスープ、それと海鮮サラダだった。
「八月もそろそろ終わるな」
「でもまだ十日もありますよ」
「俺にしてみりゃあと十日だよ。そしたら夏も終わる」
 今年の夏は素晴らしく熱かった。しかし、ひと夏の思い出にするにはまだまだ早い。
「そうですね。八月が終わったらすぐに秋から冬になっちゃいますし」
「まったくだ。だから八月は一年で一番長く、そして愛しく思うよ。でもその反面、いざ八月になったら哀しくなるんだよなぁ」
「どうしてですか?」
 オニオンスープを啜ると、冬馬は嘆息した。
「また一年待たなきゃならないのかって思うんだ。だから俺にとって夏は想うもの。それが訪れるまでに色々想像したりするのが楽しいんだよ」
「先生って好きなものは最後に食べるタイプなんですね?」
「いや、先に食べるよ」
「……そうですか」
 ふと渚は窓の外を一瞥した。
「しかしよく降りますね」
「一週間ぶりだからな」
「と言うと、先生とお出掛けした時ですね」
「そうだな。あの日は確か帰りがけに降ってきたんだったな」
「はい。私、雨は気が滅入るから好きではないんですけど、あの日だけは雨が好きになれました」
 確かにあの日の雨には感謝したりもした。
「あの雨で、先生との距離が近くなったように思えましたから」
 恥ずかしそうに目線を落とす渚を愛しく思いながらも、冬馬は平素の顔で焼きソバを頬張っていた。
 夕食を終えると冬馬はさっそく原稿用紙に向かった。昼間はほとんど書けなかったが、酒も入る夜ならば大丈夫だろう。
 しばらく書きいそしんでいると、渚が入ってきた。冬馬はそれを一瞥したきり原稿に没入したが、渚もそれを当然のように受け止め、黙って冬馬の様子を見ている。
 時折冬馬がタバコを吸ったり、酒を継ぎ足す時に二言三言交わしたりするものの、それ以外は二人の間に動きは無かった。
「あ、無くなっちまった」
 一升瓶が空になったのに気付くと、冬馬は残念そうに呟いた。
「買い置きって、あったか?」
「いえ。あ、でしたら買ってきますよ」
 立ち上がる渚と窓の外を見遣る。外はまだ雨模様だ。
「雨降ってるから別にいいよ」
「いえ、行ってきますよ。お酒無かったら書けないんですよね?」
「まあ、そうだが……」
「なら買ってきますよ。先生は書くのがお仕事で、私はそれを手伝うのがお仕事なんですから」
 渚はにっこりと微笑むと書斎を出た。
 玄関のドアが閉まる音を確認すると、冬馬はタバコに火を点けた。たちまち紫煙が立ち上る。
 本当に渚は良くやってくれている。俺なんかにはもったいない程、良い女だ。何気無い一言が運命を大きく変えるってのは本当だな。あの日、二階堂さんにメイドが欲しいなんて言ってなければ、今の生活は存在していなかったんだから。
 残り少ない酒を一気に喉に流す。
 希美との愛は死によって突然終わってしまったけど、何物にも代え難いものを得た。それを無駄にしないためにも、もう失う悲しみを刻まないためにも……。
 ほとんど灰になったタバコをもみ消すと、ペンを握り直す。
 俺は渚を手放しはしない。
 冬馬はペンを走らせた。
「先生、ただいま帰りました」
 しばらくして襖が開くと、渚が元気良く冬馬の前に一升瓶を差し出した。
「悪いね」
 冬馬は嬉しそうにコップに継ぎ足すと、美味しそうに一口呑んだ。その様子を渚も我が事のように相好を崩す。
 酒が想像力を喚起させ、渚の存在がそれに自信を与える。
 そしてついに冬馬のペンが最後の一文字を刻んだ。
「終わった」
 ぐったりと座椅子に凭れ込む冬馬。だが疲れよりも達成した満足感が大きく、その顔は喜色満面と言った感じだ。
「おめでとうございます、先生」
「ありがとう。後は手直しするだけだが、それは明日に回すとするよ。ひとまず、祝杯といこうか」
「はい。お付き合いしますね」
 渚がコップを取ってくると、二人だけのささやかな祝宴が始まった。二人はコップを重ねると、軽く傾ける。
「ようやく肩の荷が下りたよ」
「本当ですね」
「これも渚のおかげだよ」
「そんなこと無いですよ。私なんていつも先生にご迷惑ばかりかけていましたから。完成したのは全部、先生のお力ですよ」
 かぶりを振る渚に、俺は微笑みながら優しく渚の頭に手を乗せた。
「いや、渚がいなかったら完成できなかったばかりか、こうした作品を書こうともしていなかったよ。渚が側にいてくれたから、俺は書けたんだ」
「先生……」
「このハートと一緒だよ。二つで一つ。俺と渚ってのはさ」
「私もそう思います、先生。どちらかが欠けてもダメなんですよね?」
 渚はネックレスを握り締めながら微笑む。
「そうだ。壊れやすいからこそ、大切にしなきゃならないんだ」
 俺と渚はそっとコップを脇へ退けると、互いの半身を確かめ合うかのようにキスした。
 抱き寄せる体が共に熱くほてっていた。甘く切ない吐息は慕情で溢れ、雨音と重なる。
 互いのハートがぶつかる程に肢体は崩れ、白いシーツに髪が散っていく。想いを伝えるのは言葉ではなく、優しいキス。想いを刻むのは優しいキスだけでは物足りず、体で。
 触れる程に重なる程に胸が甘く疼き、愛してると言う言葉では足り無いくらいに胸の中にいる渚が愛しい。
「渚……」
 呟くと同時に想いが弾けた。
 書斎にある一つの布団からはみ出ないように寄り添いながら、冬馬と渚は互いに見詰め合っている。
「最近よく考えるんだ」
「何をです?」
「もし、渚と出会っていなかったら……」
「先生、『もし』だなんて言わないで下さい」
 渚が今にも泣き出しそうな表情になる。
「渚?」
「私、もしもの話だとしても先生と出会えたことを偶然だと思いたくないんです。必ず、先生と出会うようになっていたと信じていたいから、だから……」
「渚……」
 瞳を滲ませる渚の頭を、冬馬は微笑みを浮かべながら優しく撫でる。
「悪かったな。でも、人の話は最後までよく聞けといつも言ってるだろ」
「え、それじゃ何て言おうとしたんです?」
「やめとくよ。どうせもしもの話だからな」
 冬馬は悪戯っぽく笑う。
「えぇー、そこまで言っておいて言わないのはずるいですよ」
「言わせなかったのは渚だろ」
「うぅ〜」
 渚は悔しそうに、恨めしそうに俺を睨んでいる。
 雨はいつしかあがっていた。