束縛の眼

狂人の結晶に戻る

 誰にだって心のどこかで注目を集めたいと思っている。目立たないよう無難な生活を求めている者も、何か一つ、いつか一度と思いながら生きているものだ。ただ大方は、己の能力に見切りをつけているから、注目を集めることや、その後のことを恐れてしまっている。
 善行よりも悪行の方が目に付きやすい。認めることは難しく、貶すことは簡単なのだから。
「真面目だね、君は」
 そう言われ続け、私は今まで生きてきた。注目されたいと私も心の片隅で望んでいるが、だからと言って進んで悪いことをしようとは思わない。もしそうしてしまうと、誰かが悲しむだろうし、また後ろ指をさされるだろう。私はそれが怖い。
 けれど、人間に死への恐怖があるように、悪徳への憧れがあるのだろう。怠けたい、盗みたい、壊したい、犯したい、殺したいと枚挙に暇が無い程、生きているとそうした衝動に駆られる。きっとこれは私だけではないはずだ。
 悪に手を染めるには、我慢しないことだ。何も考えず、欲望の赴くままに行動すればいい。しかし、人間はそれを抑えながら社会生活を営んでいる。理性の動物と言われる由縁はそこだ。ただ、後天的なものである理性はしばしば封じられ、所謂魔がさしただの、無意識のうちについだのと言った欲求が働くことは少なくない。
 私もしばしば我を忘れてしまいそうになったことがある。抑えがたい情欲や激しい怒りなどによって、頭がかぁっと熱く白くなり、目を血走らせながらそうした行為へ及ぼうとした。
 だけど、いつもあと一歩のところで止まってきた。別にこれは私が取り立てて他人より理性が強いと言うわけではない。逆に、度々そういった欲求が働くだけに、他人よりも弱い人間だと思う。
 そんな私を止めたもの、それは視線。
 事ある毎に視線を背に感じた。我を忘れてしまいそうになった時、いつも怖気立つほどの視線を受ける。どこからそれが発せられているのかわからないが、いつもそのために悪事を行わずにいられた。
 従っていればきっと道を踏み外さない。今までずっとそうだった。今後もきっとそうなっていくだろう。健全な生活人としてみれば、喜ばしいことだ。
 ただ、いつもどこかでそれを苦痛に感じていた。真面目な人はつまらないだとか、場を白けさせると言う通俗的なものも多少含まれているだろうが、それだけではない。何も考えずに従うことは、意志の放棄だ。私は私の意志により生きている。それに依らず決定されてしまうことは大いなる違和感であり、耐えがたい苦痛だ。
 従いながらも、逃げようと思ってきた。逃げられないのなら、立ち向かってみようと。だがそれは悪徳への傾倒。行うべきではない。曖昧ながらも健全な生活人を目指すべきだ。だが私はいつまでその曖昧に縋り付いていればいいのか。……あぁ、これこそが矛盾だ。
 そんな悩みを人知れず抱いていると、当然ストレスが溜まる。誰にも話す気が無い上に解決できないのだから、どうしても酒に頼りがちになってしまう。私はその日も行き付けの店で安酒を呑んでいた。たまにできる贅沢で、これが私を最も慰めてくれるものなのだ。
 ちびりちびりと呑む酒も、朝方まで呑んでいればかなり酔ってくる。馴染みの店と言えども、さすがに寝てしまうわけにはいかない。始発の時間に合わせて呑むと、重い瞼を瞬かせながら会計を済ませ、気だるい体を引きずるようにして駅へと向かった。
 夜は賑わうこの界隈も、朝になれば閑散としていて、言い知れぬ寂しさを感じる。あのネオンも、煩わしい呼び込みも朝の光の前に消えてしまった。見慣れたはずなのに、まるで別の街に迷い込んでしまったかのようだ。
 誰もいないからそう感じるのか、または酒臭いこの不健全な我が身に陽光が眩しいからそう感じるのか。考えることも無い、単に酔ってるだけだろう。
 のろのろと歩いていると、ふと目の前に茶色のサイフが落ちているのに気付いた。きっと私のような酔っ払いが落としたに違いない。朝日を浴びて鈍く光るそのサイフに私の視線はしばらく釘付けになったが、触らぬ神に崇り無しと、無視を決め込むことにした。
 しかし、近付く程に私は一層そのサイフに目を奪われていった。よく見れば厚みのあるサイフから、紙幣が顔を覗かせている。もしかしたら結構なものなのではなかろうか。そんなことを考えていると通り過ぎることができず、ややそれをじっと見詰めていた。
 交番に届けるかな。
 私は周囲を気にしながら、そっとサイフを手にした。サイフはずっしりとまではいかないが、それなりに重く、言い知れぬ興奮が体を震わせた。
 一瞥しただけで、四万円以上入っていることが確認できた。四万円。拾い物にしては結構な金額だ。きっとこれを落とした人はかなり困っているに違いない。早々に交番へ持っていこう。
 だけど、不意に今月の家賃が未払いだということを思い出すと、足が止まった。
 それまで私は滞り無く払ってきた。借金することも、支払いを延期することもなく、きっちりと収めてきた。しかし今月は予定外の出費が多かったので、このままでは払えそうに無い。待ってもらうなんてことは、あの大家には通じないだろう。あぁ、だけどこの金があれば何とかなる。幸い周囲には誰もいない。不気味なくらい誰もいない。今なら何をしても、誰にも気付かれないだろう。
 今まで私は良識のある人と周囲から思われてきた。それは誇るべきものであり、守るべきものだ。サイフをそのまま懐へ入れるのは、当然悪徳だ。借金をしたり、料金の滞納だってよくはない。今、サイフを拾っても私の行為は私だけの秘密になる。しかし借金や滞納は広く知られるだろう。罰は世間が下すものだ。誰にも気付かれなければ罰は下されない。私はそうした自己弁護を頭の中でひたすら繰り返し始めていた。
 もう一度周囲を確認したが、やはり誰もいなかった。気配すら無い。私はサイフをそっと懐に忍ばせた。
 途端、強烈な視線が背中に刺さった。
 驚き顔を強張らせながら再び周囲を見回すが、やはり人はおろか気配すら無かった。だけど得体の知れない恐怖が、私の体の隅々にまでべっとりとまとわりついている。一体何だと言うのだろうか。
 サイフを諦めれば、きっとこの恐怖から解放されるだろう。けれど、家賃を払えないと私は追い出されかねない。今の住居を追い出されてしまうと、生活ができなくなってしまう。そもそもこれは落とした人が悪いのだ。大方、酔っ払いに違いない。サイフを落としたことにも気付かない気楽な泥酔者に返すよりも、私の生活の方が大事だ。
 だけど、あぁ、そう思う程に視線が刺さる。誰もいないのに、気配すら無いのに視線があるわけが無い。これはきっと幻覚だ。気にし過ぎる私の心が生み出したものだ。他人のサイフを懐に入れることは悪徳。そんなことはわかっている。けれど私は、どうしようもないのだ。
 逆らったことのない視線に対し、様々な言い訳を一人ぶつけたり、哀願したりする。だが、やはり視線は依然鋭く突き刺さったまま。僥倖とすべきか、良心への挑戦とすべきか。私はしばらくサイフを見詰めていた。
 葛藤の末、私は念入りに周囲に人がいないことを確認してから、そっとサイフを懐に入れ、怪しまれないよう努めて平素を装いつつ、その場を立ち去った。背に感じる視線は一歩踏み出す毎に強まり、やがて堪え切れなくなった私は、駅のトイレで吐いた。
 吐いて吐いて、胃が空っぽになってもまだ吐き続け、涙やら胃液やらで汚れていく自分が次第に情けなくなってきて、どうして拾ってきてしまったのだろうかとすら考えた。
 だが、もう戻れないのだ。今更あそこへ戻って何事も無かったかのようにサイフを戻したり、交番へ届けることも叶わないのだ。私は眩暈を覚えつつ帰宅すると、大家に今月の家賃を払った。大家は笑顔を浮かべてその金を受け取り、嬉しそうに自室へ戻ると、それきりだった。
 無論、大家が家賃の出所を知る由は無いだろう。大家にしてみれば、私が家賃を払ったという事実しか無い。サイフはゴミ袋の奥深くに隠し、捨ててきた。これで、もう大丈夫なはずだ。
 なのに、まともに眠れない日々が続いた。大丈夫だと何度も自分に言い聞かせても、起きている間は不安に、寝ている間は悪夢に苛まれた。良心の呵責のせいか、それとも悪事が発覚することへの恐れか、それはわからない。
 だけど、今日になってもまだ何も無い。以前と何ら変わらぬ生活を私は送っている。体調もすっかり戻り、一生活人としての日常は失われていない。
 あの事件により、今まで私を監視していた視線が消えた。もう影も形も残っていない。私が何か悪事に手を染めようとしても、何も感じなくなった。だが同時に、束縛からの解放は大き過ぎる自由への不安を生んだ。
 私は今、不安だ。しかし、それにもいつか慣れるだろう。