或る死刑囚の告白

狂人の結晶に戻る

 まぁ、ちょっと聞いてくれ。あぁ、時間は取らせない。手間も取らせない。当然、聞かせた後で金も取らない。少しでいいんだ。
 話ってのは誰でもない、俺のことなんだ。平凡な家の生まれでね、兄弟はいなく、一人っ子。親父は気の弱いサラリーマンでね、いつも疲れた顔していたよ。それでもたまに家族サービスとか言って、外食したり、長期休暇の時には旅行とかにも行ったんだ。それで思うんだが、家族に対してサービスって言い方も変だよな。まぁ、それはどうでもいいか。ともかく、哀れなくらい必死になって、生きてきた男。良い親父だとは思うが、男としてはどうも好きになれなかった。
 付き添っていれば似てくるのかね、お袋も親父のように、どこか疲れていたな。無趣味で、人付き合いも少なく、毎日何を楽しみに生きているのか、さっぱりわからなかった。それでも親父や俺に対しては優しくてね、俺が風邪をひく度に、つきっきりで看病してくれたよ。だけどまぁ、子供の頃、それも小学生くらいまでの話だけどね。
 金は無いと言っていたし、贅沢だって無かったけれど、貧乏だとは思わなかった。困るってことは無かったからな。って、俺が知らないだけで、実は借金だらけだったのかも。いや、それは無いな。両親共々、借金やローンの類は嫌いだったみたいだし。
 それで、さっきも言ったが、俺は一人っ子だったわけよ。一人っ子と言えば、世間ではワガママってイメージがあるもんだ。兄弟がいない分、その金を使えるとかな。でも、そんなことは無い。正月に誕生日の奴が、倍のお年玉を貰えるかと言えば、そうでもないわけだ。例えが正しいかわからないが、少なくとも、友達より秀でているとは感じなかった。当然だよな。子供に使わなければ、生活費に回すわけだから。あぁ、だから普段の生活で困るってことが無かったのかもな。
 だが、欲しい物ややりたいことってのは、そんな理由じゃ我慢できない。特に子供ならそうだろう。しかし、我慢できないからと言っても、親にねだって何もかも得られるわけじゃない。そうして人は、自分の欲求と世間の厳しさとの折り合いをつけて、成長していくものだろう。
 でも、多分君にだって覚えがあるだろう。玩具はもとより、友達がアメ一つでも美味そうに食べていたら、自分も欲しいって。俺もそうだった。暑い日に、ラムネ一本でも目の前で飲まれていると、どうしても水じゃ我慢できないんだよな。かと言って、買う金も無い。
 そこで、万引きだよ。悪いことだとは幼心にわかっていたけど、つい、な。一種のゲームでもあった。駄菓子屋の婆さんに気付かれないよう、いかに商品を盗むかってな。数人固まって店に入ることはしなかった。見つかったら、全員アウトだしな。だから、必ずやる時は一人でやった。俺は一度も失敗したことは無かったけど、中には見つかって、こっぴどく婆さんに怒られた奴もいた。親子共々、泣きながら謝りに行った奴もいた。でも、自分の罪を省みることはせず、ただただ不運だったんだなとしか思わなかった。
 中学生になると、性にも興味が出てくる。本やビデオ、または友達との猥談で、セックスと言う未知の世界をどうしても知りたくなった。また、初体験を済ませた奴に対し、劣等感を抱いていたんだ。君もそんなことを考えたこと、あるだろう。時計が買えた、勉強ができたと自慢されても、そりゃ悔しいが、あぁそうかで済ませられる。だけどほら、セックスってのは、それを行うために金も使うが、人の資質ってか、魅力ってのが関わってくるだろう。普通、するのにはな。
 したいとは常々思っていた。けれど、俺はサッパリ女に好かれなかった。おっと、この場合の好かれるってのは、恋人の対象としてな。賢明な君は、すぐに察知してくれただろうけどね。
 だから、犯した。所謂レイプってやつだ。大人しそうなクラスメイトの一人を、委員会での用事があるからと放課後に残らせ、適当に時間を潰して誰もいなくなったのを見計らい、押し倒した。勿論、泣き叫ばれたさ。見つかったら、ジュースを盗むなんてところの罪じゃない。焦った俺はそいつの頬を引っ叩き、口を押さえ、脅して便所に連れて行った。教室だと、やっぱりすぐに見つかると思ったんだ。
 やり終えて、満足はしなかった。あぁ、こんなものなのかって思ったよ。想像していた程じゃあなかった。けど、欲情する度に彼女を使った。思った通り、行為のことを口外しようとしたり、した素振りは無かった。俺も罰せられることは無かった。
 何だろうな。両親の生き方への反発があったのかもしれない。したいことを我慢し、ひたすら耐える、面白味の無い人生。あぁなるのが嫌で、俺は欲望に忠実に生きようとしたのかもしれない。まぁ、言い訳なんだろうけどよ。
 社会に出てからも、俺はこんな調子だった。金が無ければ盗みに入り、欲情すれば女をホテルに連れ込んだり、最悪犯した。三十までには結婚し、六十になれば定年退職、八十には皆に看取られて、なんて未来予想図は描かなかった。そんな先のこと、考える気にもならなかった。ただ、目の前の欲望を晴らし、俺なりに人生を楽しもうとした。
 しかし、道徳を遵守する奴も、俺のように欲望の赴くまま悪の道を突っ走る奴も、必ず順風満帆になんて行かないもんだ。俺も、ついやっちまった。
 見ればわかると思うが、この通り俺は背もそんなに高くないし、腕だって細い。おまけに顔もいかついわけじゃない。だから、ケンカや強盗なんてことはしなかった。抵抗されたりでもしたら、やられちまうからな。でも万が一に備え、常に何か武器となるものを持っていたんだ。
 だけど、そいつを使うなんて、正直考えてもいなかった。ある日、いつものように金の無くなった俺は、泥棒に入ったんだ。下調べでは、旅行に行った家族。警戒して、夜にそこへ侵入したんだが、それが運の尽きよ。どうしてだか、人がいやがった。子供がな。何らかの用事で、旅行が中止になったんだろう。姿を見られ、声を出されそうになった。俺はもう慌てて、見つかったのは初めてだったからな、つい刺しちまった。突然の行動だよ。考える前に刺していた。
 刺された奴は、どさりと倒れてそれきりさ。動きもしなかった。けど、俺は念のため、何度か刺した。怖くなったんだ。あぁ、今考えてみても駄目だった。一人殺すのも、一家全員殺すのも一緒だ。むしろ、他の奴らを残しておいたら、後々面倒になるかもしれない。そう考え、すっかり冷静さを失った俺は、全員殺した。ったく、俺らしくない。やめときゃよかった、あの家はよ。鬼門だったんだな。
 日本の警察ってのは、そりゃ優秀なもんさ。俺はすぐに捕まっちまった。言い逃れしようにも、何のかんのと言われるうちに、面倒になったんで、そうですって自白したよ。
 そしたら死刑だとよ。何だよ、そりゃ。たまったもんじゃねぇ。俺はまだ、この世に満足なんかしちゃいない。何てこった、これで終わりかよ。ひでぇもんだ。いいや、まだ終わらないぞ。俺はまだまだ楽しみたいんだ。
 ただ、そうは言ってもどうしようもなかった。昔ならともかく、今は脱走なんてできるもんじゃない。減刑も無理みたいだった。何にもできないまま、刻々と時間が過ぎた。
 死刑の方法は絞首刑とのことだった。死ぬこと、それ自体の恐怖は無かった。本当に怖かったのは、後悔したまま何もできなくなることだった。そういう意味で、女も抱けず、ロクなメシも食えない刑務所は、俺にとって死と一緒だったんだ。
 ある日、首を鍛えて絞首刑から生き延び、無罪になった男がいたことを知った。何でも吊るされた後に息を吹き返したり、棺桶に入れられた後で復活した、などと容易には信じられないような内容ではあったが、どうせ俺は死ぬ身、やるだけやってみようと決心したんだ。
 死ぬ気になれば、何でもできるもんだな。いや、死が迫っているからこそ、何でもできるのだろうか。ともかく俺は鍛えた。首の力だけでベッドを持ち上げるだとか、手をつかずに頭だけで逆立ちするだとか、できる限りの無茶をした。
 執行の日、いつものように日は昇っていた。腹立つくらいの快晴さ。でも俺は、もう一度この太陽に会うと誓い、処刑場に向かったのさ。人生の意義とは、楽しむこと。俺はまだまだそれを果たしてないんだからな。死ねないよ。
 階段を上り、首にロープが巻きつけられ、何か一言ありますかなんて訊かれたけど、何も無いって答えたよ。今更何を言えってんだ。どうせこいつら、俺が金言言っても聞く耳なんざ持ってねぇんだ。
 そしたら、ズドンだ。足元の板が開いて、俺は宙吊り。首吊りだぁ。自分の体ってのは、案外重いもんだ。減量していたのに、重いのなんの、ふっと意識が飛んだね。でも、鍛錬の成果かな、すぐには死なずに済んだ。でも、死なないようにがんばる奴を、何とか殺すのが死刑ってもんよ。こんなにヤバイとは思ってなかった。幾らがんばっても、終わりやがらねぇ。そのうちに、俺の意識は無くなっていったんだ。
 気付いた時、俺は病院にいた。憶えていないんだが、何でも死亡確認後に息を吹き返したらしいんだ。刑が終われば自由の身。俺もそうさ。死刑を終えて、なお生きていたんで、すぐ病院へ搬送。自由の身の者を見殺しにしちゃ、いけないよな。うん。
 俺は勝った。死に勝った。生きたいと願った結果、見事叶った。すごいだろ。ここは少し自慢させてくれよ。誰にだって、できることじゃないだろ。ある意味、人間の限界を俺は越えたんだぜ。
 ただ、忌々しいことに、俺は生きるには生きた。しかし『生きた』だけだ。と言うのも、植物人間で動けやしねぇ。指一本動かせない。声も出ない。何も反応できないんだ。でも、確かに俺は生きている。誰もわからないみたいだが、意識はあるんだ。ちくしょう。
 何でも、首吊った時に神経ズタズタ、脳は半分壊死したみたいなんだ。これじゃあ、何にもできない。何のために俺は生き延びたんだか、わかりゃしねぇ。君だってそう思うだろ。
 俺に生きる意義はあるのか。生きるってことは、一体何だ。人によって答えは様々だろうが、少なくとも俺は死んでいるのと一緒だ。やってられねぇ。これこそ、どうしようもねぇ。
 欲望に際限が無いってのは、よくわかった。同時に、人間どんなにがんばったって、限界があることも知った。今更だ、困ったな。
 きっと俺には、我慢の限界ってのが人より足りなかったんだろうな。おかげで今じゃ、こんな生活よ。でもな、あの頃のことは後悔していない。君もどうあれ、後悔しないようにな。後悔の一生なんて、俺よりひどいぜ。